電車の中の恋人

酒とタバコと電気ベースと料理とキャリア…まあいろいろ

続・被差別部落出身者である私

昨日のエントリーに対して、ツイッターに「エセ同和、消えろ!お前らに存在価値はない!」(原文ママ)というDMがきました。何かしらあるかと思っていましたが、エセ同和とくるとは思いませんでした。

「エセ同和」というのは偽物の同和のことです。「部落問題は怖い、面倒だ、できれば避けたい」という意識につけこみ、被差別部落出身者の振りをして「差別を受けたから謝罪しろ、誠意を見せろ」と行政や企業をゆするわけです。

さすがにずいぶんと減ったようですが、いまでもあるようですし、新聞記者時代に取材に行った役所でがなり立てている現場に遭遇したこともありました。公共工事を優先的に発注するようなこともあったようです。

昨日も書いたように、私自身はこれまで何の差別や不都合を感じたことはなく、30歳を過ぎるまで知らなかったぐらいです。親父の実家周辺も住宅やマンション、アパートが新築され、そこが被差別部落だったと言われても信じられないほどです。

ただ、このようなDMがくるということは、やはりまだ差別が根強く残っているということです。きっと何の根拠もなく言っている、無視すべき戯れ言なのでしょうけど、顔も見えない相手からいきなり悪意をぶつけられると地味に凹みます。

数年前、全国各地の被差別部落の地名をまとめた『部落地名総鑑』がネット上で公開され、大きなニュースになりました。公開元は削除されましたが、ネット上に一度出回ったものを完全に消すのは無理で、少し検索すればいまだに目にすることができます。

差別は人間の無知と無理解によるものです。そして、ネット上のデマがそこに拍車をかけ、だんだん現実との境目が曖昧になりつつあります。社会問題化しているヘイトスピーチが典型で、差別に対するハードルが下がっていると感じています。

ネットで正しい情報を得られるようになりましたが、その何倍もデマや偏見などが出回り、人種差別や部落差別など、ありとあらゆる差別の火に油が注がれ続けています。差別はこの世からなくならないのかもしれないと思うとやるせない気持ちになってきます。