電車の中の恋人

酒とタバコと電気ベースと料理とキャリア…まあいろいろ

完全禁煙68日目~○○のために

「人のため」とはいったいどういうことなのでしょうか。

仕事始めの朝、米国本社の社長からメールがグローバルに一斉送信されました。「人のため」に、「社会のため」に、という言葉があちこちにありました。

例えば、子どもが喜ぶからと欲しがるものを何でも買い与えることは「子どものため」にはなりません。喜ばせることがその人のためになると限らないわけです。

また、友人の欠点を見つけて指摘することは「友人のため」かもしれませんが、それによって友人をひどく傷つけることにもなりかねません。

気付かない振りをしながら見続けることは辛いものですが、いつか自分自身で欠点に気付き、人として成長すれば、指摘しないことが「友人のため」になります。

食料や賃金を一律にした社会主義国家は平等による国民の幸せを目指しましたが、「社会のため」になったかどうかは崩壊した事実を見れば明らかです。

誰にとっても共通の「○○のため」というのはあり得ません。あちらを立てればこちらが立たなくなるのは世の常です。

しかし、だからと言って「人のため」とは何かを考えることを放棄するのは誤りです。自我を持った人間と野生動物の違いはここにあります。

人間として生まれたからには常に自我を意識し、自分と他者の関係性を考え続けなければなりません。そうして考え続けることこそ「人のため」の第一歩です。

何が言いたいかというと「好きになった女の子のため」に禁煙を始めたわけですが、2か月を過ぎても吸いたいものは吸いたいということです。

誰の監視の目もなくいつでも吸える状態だった年末年始休みを悶絶しながら乗り越えたのですから、ここで吸うようなバカなことはしませんが、とにかく辛い。

ただ、喫煙が「○○のため」になる理由を考えてみましたが、1ミクロンも思い浮かびません。きょうも元気だ、空気が美味い!

◆タバコが吸いたくなるとつぶやいています → ずずず (@wakabkx) | Twitter