電車の中の恋人

酒とタバコと電気ベースと料理とキャリア…まあいろいろ

原爆投下は正義などではない

私は右翼思想などなく、国粋主義者でもなく、むしろ日本人だの外国人だの言うのはくだらないことだと思っていますが、8月6日と8月9日は日本人であることを強く意識し、絶対に忘れてはいけない日だと思っています。きょうは広島、9日は長崎に原子爆弾が投下された日です。

私は生まれも育ちも神奈川県で、広島や長崎に縁もゆかりもありません。しかも、お恥ずかしいことに、どちらにも1度も足を運んだことがありません。広島と長崎、沖縄、鹿児島の知覧の4か所には死ぬまでに必ず行こうと思っているのですが、仕事の忙しさにかまけてまだ行けていません。

米国人の中には、原爆投下が正義だった、終戦の決め手となった、原爆が世界平和をもたらしたと本気で思っている人が少なくありません。前の会社にもそう思っている米国人がいて、会議中に殴り合いのケンカになりかけたことがありました。

当たり前ですが、原爆投下は正義などではありませんし、終戦の決め手などでもありません。当時の日本は原爆を投下されなくてもとっくに終戦するつもりでした。しかし、それでもなぜ投下したかといえば、面白半分の実験です。試しに作った物がどれぐらいの威力があるのか、見てみたかっただけです。

面白半分の実験で何万人もが文字通り「あっ」と言う間になくなりました。しかも、ほとんどがごく普通の市民、非戦闘員です。これのどこが正義なのか、何人もの米国人と議論しましたが、誰も納得できる理由を言えませんでした。

日本人は子どものころから原爆の話を聞いたり、図書室で『はだしのゲン』を読んだりして、こう言ってはなんですが、原爆投下がほかの場所でもあったように思ってしまいがちですが、そんなことはありません。核兵器による攻撃を受けた国は世界中で日本しかありません。

世界で唯一の被爆国であることをもう少し強く意識し、日本だからこそできることがあると毎年、この時期に思っているのですが、政治に携わる皆さまはそう思わないようで。もちろん、別の重要なことに取り組んでいると思うわけですが。

鹿児島の知覧は、特攻隊員として出撃した祖父の弟(私に超絶そっくりだったらしい)が最後にいたそうです。ここも必ず行っておかなければ。