電車の中の恋人

酒とタバコと電気ベースと料理とキャリア…まあいろいろ

校了まで安心して眠れない生き物

“校了”とは文字通り“校正を終了する”ということです。初校、再校、念校と校正を重ねて「もう直すところはないので印刷を始めてください」ということであり、編集者にとって「ようやく終わった」と安堵すると同時に「本当にミスはないだろうか」と一抹の不安を感じる瞬間でもあります。

当たり前ですが、校了するときはミスがないと思っています。しかし、人間がやることですから、ミスは必ず発生します。私も何度もやらかしました。例えば“消化”としなければならないところを“消火”としてしまったとか、些細な誤脱字はもちろん、参照するよう本文で指示した図表番号がすべてズレていたとか。

著者が見て、アシスタントが見て、私が見て、さらに専門の校正ツールにかけても、どうしてもミスが発生してしまうことがあります。印刷された後に「何でこんなものを見落としたのか…」と凹んだことが何度もあります。これが人間というものです。

ただ、この揺れというか不安定さが良さでもあり、数々のベストセラーを生み出したり、人気雑誌の編集長だったりす名物編集者と呼ばれるような人々は独自の不安定さがあり、それが味でもあります。編集という仕事がAIに取って代わられる可能性が低いといわれる所以です。

2月末から制作してきた約500ページのものをきょう、入稿しました(書籍ではありませんが)。入稿とは印刷会社にデータを渡して印刷工程に入ることで、基本的に修正なしという状態ですが、実は入稿以降も色を確認する色校やページ割りなどを確認する白ヤキという状態で修正できたりします。

それらをすべて終え、本格的に印刷を始めるのが校了であり、今回の制作物はあさってに校了します。昨夜は結局、徹夜する羽目になり、眠いことは眠いのですが、それでも頭が強烈に冴えています。たぶん、あすもきっとこうでしょう。

校了してもう修正できないと踏ん切りがつくまで、逆を言えばまだ修正できるうちは不安で仕方ないのが編集者という生き物です。