電車の中の恋人

酒とタバコと電気ベースと料理とキャリア…まあいろいろ

たぶん出撃したであろう75年前の6月

私は死ぬまでに沖縄と広島には何としても行きたいと思っています。民族主義者や愛国主義者、国粋主義者、右翼などではありませんが、日本人であれば1度は赴き、現地の空気感を肌で感じておかなければならないと考えています。

何度か書いていますが、私の祖父の弟は太平洋戦争末期に神風特攻隊として出撃したまま行方不明です。祖父曰く、どうも私は弟に似ているそうで、出撃前に撮った写真を見ると確かに似ていて、会ったこともありませんが、親近感を持っています。

祖父自身は陸軍として旧満州に出兵し、終戦後に旧ソ連に捕えられ、シベリアに送られたものの何とか生きて帰ってきたそうです。その後、90歳近くまで生きましたが、悲惨な戦争の被害者であることに変わりありません。

米国に恨みなどありませんし、そもそもいつまでも昔のことにこだわるのは無意味だと思っています。ただ、それと戦争そのもののことを忘れてしまうのはまったく別のことで、過去に戦争があり、悲惨な出来事がいくつもあったことは絶対に忘れてはいけません。

祖父曰く、弟が出撃したのはたぶん昭和20年の6月ごろだったのではないか、とのことでした。あと1か月半ほど遅かったら出撃せずに済んだかもしれませんが、そんなことを考えても仕方ありません。今年は戦後75年、悲惨な記憶を風化させないよう、できる限りのことをしていくつもりです。