電車の中の恋人

酒とタバコと電気ベースと料理とキャリア…まあいろいろ

ダメ都会人

富山県生まれの母親は1964年(昭和39年)に発生した新潟地震を10代で経験し、母親曰く「この世のものとは思えない恐怖」を味わったそうで、私が子どものころから常に「地震がきたら大変」が口癖でした。

住宅展示場でアンティークの食器などがキレイに並べられたモデルルームを見たら「地震がきたら全部落ちて大変」、4段以上のタンスは「地震がきたら倒れて下敷きになって大変」、天井の高さまでぎっしり詰まった私の本棚は言うまでもありませんでした。

15年前に実家を建て替えるときは、何はなくとも耐震性にこだわり、庭に防災倉庫を作ったほどです。ただ、ここまでの防災意識が功を奏し、東日本大震災のときも日常生活にまったく支障が出ず、隣近所に非常食や水を分けたぐらいでした。

9年前のきょう、私はまだ新聞記者で、神奈川県庁で「投げ込み」と呼ばれるプレスリリースを回収して会社に戻るところでした。外を歩いていて、数メートル先にビルの外壁が落ちてきて九死に一生を得ました。

たまに実家に帰ると、母親はいつも、非常食や水をきちんと蓄えているか聞いてきます。頭では分かっているものの、平時から有事に備えるのは難しく、せいぜいペットボトルの水を数本、用意しているぐらいです。

実を言うと、先ほど帰ってきてテレビをつけるまで、きょうが3月11日だということを忘れていました。平和ボケしたダメ都会人代表です。こうしてブログを書くことで、少しでも頭に刻んでおかなければならぬ、と思うわけです。