電車の中の恋人

酒とタバコと電気ベースと料理とキャリア…まあいろいろ

仕事はできないけど気の良い人

「無駄の削除」「生産性と効率の向上」「成果主義」― 2001年に大学を卒業し、超就職氷河期を経験した私は、これらの言葉に常に追い立てられてきました。私だけでなく、バブル崩壊以降にサラリーマンになった人であればみんな同じだと思います。

いまの時代にサラリーマンになる若者たちは、無駄の削除などがとっくに当たり前のものとなっているため、特に違和感がないと思います。ただ、私の世代だとそこまで無駄の削除が徹底されていない時期(過渡期)だったので、まだ違和感があります。

私が社会人になったころは「仕事はできないけど気の良い人」という社員がまだ残り、会社もまだ受け入れる余裕がありました。地獄の就職活動をくぐり抜けて「仕事ができないとすぐクビだ」といつも思っていた入社当初の私にとって、仕事ができない社員は悪でした。

しかし、その人がいるおかげで職場の雰囲気が和んだり、思ってもみない繋がりを持っていたり、そこで求められる「仕事」ができていることに気付いたときがありました。誰にでも分かるよう成果を数値化できるわけではありませんが、決して無駄な存在ではなかったわけです。

それがいまや、各企業はそんな存在すら無駄と思うようになり、いくら気が良くても仕事ができなければとっととクビにしてしまいました。もちろん、そんな存在を大切にする人間味溢れる企業もありますが、なかなかお目にかからない絶滅危惧種だと思います。

無駄を極限まで削除し、生産性と効率の向上が至上命題、徹底した成果主義の場である外資系に身を置いている私でも「そんな気の良い人が1人や2人いても別にいいんじゃない?」と思います。あまりにも殺伐とした職場は社員を磨耗します。

toyokeizai.net

気が良い人は職場に気を遣って自ら去っていきますが、気が良いどころか気が悪い方向に突き抜けていたり、社内政治が上手だったりする人は、仕事ができなくても残ります。まさに東洋経済のこのエントリーのような感じ。正直者は馬鹿を見るのが日本社会です。

それにしても、東洋経済の割には薄っぺらいエントリーです。「分かるけど、じゃあどうすればいいの?」と思う人がほとんどのはずです。まさかこの著者も「問題なのはわかっていますが、何とかうまくやりましょうね」と思っているのではなかろうな…。