電車の中の恋人

酒とタバコと電気ベースと料理とキャリア…まあいろいろ

普通の日常の幸せ

昭和という時代がずいぶんと過去のもののように感じますが、それほど昔のことではありません。

私の父方の祖父はずいぶん前に亡くなりましたが、太平洋戦争時には旧満州に出征し、旧ソ連軍の捕虜となってシベリアに抑留され、何とか生き延びて帰ってきたそうです。

私は子どものころから祖父の弟にうり二つと言われてきました。祖父は私が顔を出すたび嬉しそうにしていましたが、それと同時に何となく悲しそうな表情になったことを幼心によく覚えています。

私は祖父の弟に会ったことがありません。祖父の弟は特攻隊として終戦間際に沖縄付近で米軍の艦隊に零戦で突っ込み、戦死したと聞かされています。

“聞かされています”という曖昧な表現なのは遺体が見つかっていないからです。特攻隊として出撃したのであれば当然、亡くなっているはずですが、祖父はずっとそれを認めませんでした。

祖父の弟にうり二つと言われて育ったせいか、祖父の弟が零戦で突っ込む瞬間、何を見て何を思ったのか知りたいとずっと思ってきました。もちろん、それを聞くことはできませんが。

私はいま、米国の会社の日本法人で働いています。正直なところ、転職するときに祖父の弟のことが脳裏をよぎりました。自分の兄の孫が米国の会社で働くことをどう思うのか、と。

時代は変わり、そのようなことは考えるまでもありませんし、そもそも祖父の弟は米国が憎くて戦っていたわけではないはずです。ただ、ふと思ってしまいました。

毎朝、満員電車に揺られて出社して、夜にオフィスを出て自宅に帰るという当たり前の生活を送れることがいかに幸せであるか、ふと気になったわけです。