分相応
私は器の小さい男です。
20代のころは自分の器の大きさを見誤りかけたことがありましたが、30代になればいい加減、分かります。そして、自分が器の小さい人間であることに折り合いをつけられるようになります。
祖父の遺産相続の話し合いに顔を出してきました。前回の話し合いの模様はこちら。
wakabkx.hatenadiary.jp結論から言うと、遺産を受けることにしました。それと同時に、弁護士に寄付先を探してくれるよう依頼しました。弁護士が困っていたので一旦、受け取りますが、私的に使用するつもりはありません。
税金など面倒な手続きはすべて向こうでやって私は必要に応じてサインと判子を押すだけで済むようにすることや、私の持ち出しは絶対にないことなど、いくつか条件は出しました。
寄付先について、組織としてしっかりしていることや活動状況が明確であることなどを当然、条件として出しています。最近は胡散臭い団体が多いそうなので注意する必要があります。
私は祖父が嫌いでした。しかし、遺産は1人の男が生き抜いた証でもあるわけですから、1円たりとも無駄にするわけにはいきません。そこには敬意を払うべきです。
「羨ましい」「もったいない」と思う人が多いと思いますし、もし私が友人から同じような話を聞いたとしたら「待て、早まるな」と言うだろうと思います。
しかし、子どものころに遊んでくれた親戚が血走った目で私を睨み、「いつの間にたらし込んだんだ!」と叫ぶ姿を見ると、誰しも同じことをするのではないかと思います。
「寄付したいのですが」と弁護士に話した瞬間、「寄付するぐらいなら寄こせ!」と絶叫した伯父さんの姿は一生忘れられないと思います。強烈でした。
私の器では億単位の金を活かすことができません。金を使っているつもりが金に使われる側に陥り、伯父さんのようになってしまうのが目に見えています。
もちろん、私もお金が好きです。欲しい本、楽器、レコード、オーディオ、スーツ、靴、時計…あれも欲しい、これも欲しい、もっと欲しい、もっともっと欲しいです。
ただ、今回の遺産は私の手に余ります。自分なりに分相応ということをわきまえているつもりですし、分不相応なことには手を出さないよう、自制する心も持ち合わせているつもりです。
見た目がブサイクなのは仕方ないけれど、中身までブサイクになりたくないの…。
これまでもいまも特に生活に困っていませんし、1人で生きていくであろう今後も特に困らないでしょう。もし困ったら1文字0.5円とかで駄文を書き散らせば何とか生きていけるはず。
そもそも、私は街中の焼き鳥屋で皮やレバーをつまみながらレモンサワーを飲めるぐらいで十分、幸せなのです。そして明日(日付変わって今日)、親友と焼き鳥屋で男子会です。嫌な気分を身体の中からアルコールで消毒してきます。