電車の中の恋人

酒とタバコと電気ベースと料理とキャリア…まあいろいろ

メールの冒頭の「お疲れさまです」の件

「ずずずさんのメール、他の人と何か違うと思ったら、最初に“お疲れさまです”がないんですね。何で書かないんですか?」

無駄だからです。

以前は「○○さん お疲れさまです」と決まり文句のように書いていましたが、いまは「○○さん 下記、承知いたしました」とすぐ本文を書きます。

こう書くようになったのは分刻みで進行する広告チームの案件を担当してからです。あちこちとチャットのようにメールのやり取りしていると「お疲れさまです」などいちいち書いていられません。

「それならチャットすればいいし、なんなら電話すれば?」と思われるかもしれませんが、相手はスマホで見ていたり、電車に乗っていたり、メールでしかやり取りできない状況というものがあります。

実を言うと、私も初めは違和感がありました。しかし、慣れてくると「お疲れさまです」のひと言すらうっとうしくなります。

それは私自身がメールを受けるときも同じです。「そんなひと言はいらないのに」といつも思っています。もちろん、あると不快になるわけではありませんが、なくても構わないという考えです。

社会人になってまず教えられることの1つに「いつもお世話になっております」というひと言があります。外線や来客に対応するときのマナーの1つです。

「個人的には何の付き合いもないのに、何でこんなことを言うのだろう?」と社会人1年生は誰でも思いますし、私も思いました。

これは「外線が入る、来客がある=会社間で取引がある」ためです。個々人の付き合いがなくとも、接する時点で自分は会社を代表していると考え、このひと言が必要になるわけです。

社内の人間に対しては当然「いつもお世話になっております」と言いません。メールの冒頭に「お疲れさまです」と書くことは、社内の人間に対して「いつもお世話になっております」と言っているように私は感じてしまいます。

「いつもお世話になっております」は社会人としてのマナーの1つです。しかし「お疲れさまです」のひと言は潤滑油のようなものかもしれませんが、マナーでは決してありません。

仕事のメールは「いかに無駄を省き、用件のみを誤解なく端的に伝えるか」が重要です。友人同士であればともかく、仕事のメールは文章でなく方程式です。

余計な修飾語を付けたり、句点を入れずに一文をだらだらと書いたりする必要はありませんし、個人の好みなど不要です。一文をできるだけ短く、必要なことだけを書かなければなりません。

昨日、紙とウェブでの文章の書き分けについて書いたところ、それに対するうららさんのコメントが気になりました(度々お名前を出して申し訳ありません)。

何でも職場の新人さんが先輩から「メールの一文が長過ぎる」と指摘を受けて直されたそうです。うららさんは可読性について説明したところ「そういうのって、好みじゃないですか。納得いかない」とふて腐れていたそうです。

この新人さんは仕事のメールを文章として“読ませよう”としたのでしょう。しかし、仕事のメールは方程式として“見せる”ものです。個人の好みなど関係ありません。

「お疲れさまです」もあくまでも個人の好みです。このひと言がないのは失礼だ、といったニュアンスで指摘されることにどうしても違和感を覚えます。

「お疲れさまです」を書かない私は失礼な人だと思われているのかもしれません。ただ、これによって仕事上で不備が出たことはありませんし、私はこのままでいくつもりです。

ベースマガジンの電書化

『ベースマガジン』という月刊誌があります。その名のとおり、ベーシストのインタビューやベースに注目したライブレポートなど、1冊まるごとベースについて書かれています。

いまでこそ東京事変などで活躍する亀田誠治さんやあちこちに引っ張りだこのKenKenなどベーシストが注目を集めるようになりましたが、一昔前はベースなどまったく目立たない存在でした。

「ベース?何かボンボン弾いてるアレ?」と言われるのがオチで、目立つのはヴォーカルやギター、ドラムばかり。本当は最も重要な存在であるにも関わらず、誰もやりたがらないパートがベースです。

そんな日陰の存在だったベーシストを狂喜乱舞させたのがベースマガジンです。創刊したとき「まさか1冊まるごとベース、しかも月1で発行するほどネタがあるのか」と心配しました。

ギターマガジンやキーボードマガジン、リズム&ドラムマガジンなど、その他の楽器の月刊誌はもちろん既にありましたし、ベースマガジンはそれらより若干、薄めでした。

しかし、厚い薄いはともかく、1冊まるごとベースだけを取り上げた月刊誌を創刊したというところに意義があります。

市販の譜面といえばJ-POPか超有名洋モノ、クラシックばかりで、私が好きなフュージョンやアシッドジャズ、ジャズファンクはCDを聴いて自分で譜面に書き起こすしかありませんでした。

しかも、いまのようにYouTubeなどありませんし、教則ビデオも数が少なく高価でした。聞き取りにくいフレーズもとにかく繰り返し聞き、必死でコピーしていました。

ベースマガジンはそのように苦労していたベーシストの救世主で、一般的には無名でもベーシストの間では超有名なプレイヤー自身による奏法解説や譜面を掲載してくれていました。

たまに実際のプレイを録音したCDが付録として付き、誌面上でコマ送りのように手元の写真を載せ、付録CDと連動して解説してくれた記事は本当に役に立ちました。

いまだったらYouTubeへのリンクを貼って終わりでしょう…。

www.rittor-music.co.jpそんなベースマガジンがついに電子書籍化されました。紙媒体に携わる者としてこれには時代の流れを感じ、少し寂しくなりました。

雑誌の電子書籍化は珍しくありませんし、かさばらないので読者にとって便利です。付録CDなど付けなくとも、記事内にYouTubeへのリンクを貼り、クリックすればすぐデモ音源を聞けるでしょうし。

いま一緒にバンドをやっているサックスやキーボードも、紙ではなくiPadで譜面を見ています。アマチュアバンドでもいまやすべて電子です。

ただ、ベースマガジンの電子書籍化は妙に寂しくなりました。ページがくっついてしまってめくるのに苦労したことや、何度もめくってボロボロになったこと、朝から晩まで飽きずにベースを弾いていたことを思い出しました。

紙媒体は需要がないのか、このまますべて電子媒体になってしまうのか、これが進化というものなのか。紙媒体の在り方を考えさせられます。