電車の中の恋人

酒とタバコと電気ベースと料理とキャリア…まあいろいろ

人の集中力など大したことなく必ず間違える

編集者や校正者、校閲者など文章に関する仕事をしている人とそうでない人の違いは「人は必ず間違える」ということをどれだけ認識できているかという点です。性悪説のようなものなので相手から嫌われかねませんが、まず疑ってかかる気持ちが必要です。

書籍や雑誌、パンフレットなど紙媒体を制作する際、まず原稿があり、それをDTPが組み(ゲラ)、編集者が確認して修正指示(赤字)を入れ、それをDTPが直して…を繰り返していきます。ネットメディアなどウェブ上のテキストも同じような工程です。

DTPから組み上がってくると、編集者はまず赤字を入れた箇所が正しく直っているかを確認します。次に赤字を入れた周辺箇所を確認してから、念のために全体をチェックします。ここで怖いのは「赤字を入れていないところは変わっていない」という思い込みです。

恐怖の先祖返り

そんなことは当然と思われるかもしれませんし、本来あってはならないことですが、これが意外と少なくありません。例えば、データを更新したときに前の状態に戻ってしまう、いわゆる先祖返りと呼ばれるものです。原因の99%は人の操作ミスです。

紙媒体の制作過程で1度でも先祖返りが発生すると地獄です。他のページでも先祖返りが起きているのではないかという疑心暗鬼に陥りますし、実際にその可能性が大きいので、8ページのパンフレットであろうと、256ページの書籍であろうと、全ページをチェックします。

たった1ページであっても、変わっていないと思っていたところが変わっていたわけですから、他のページは変わっていないと言い切ることはできません。このとき、ミスがあるかもしれないとどれだけ強く思うことができるか、という部分に編集者の実力が表れます。

最大の敵は「思い込み」

しかし、偉そうなことを言っても所詮は人です。赤字を入れていない箇所は変わっていない、そうそう間違えない、いくらなんでも大丈夫、と思い込んでしまいます。正直言って何度も見返すのは面倒ですから。その結果、誤植が生まれます。

ブログも同じことで、書き上げてから確認してアップしたものの、あとから誤脱字を見つけた経験は誰でもあるはずです。プロのライターが書いているウェブメディアであっても誤脱字をよく見かけます。大手新聞社はさすがに校閲体制がしっかりしているので滅多にありません。

「必ず間違える」「いくらなんでも大丈夫だろう」「やっぱり間違えた」「さすがに大丈夫だった」を何度も繰り返し、何人もの目を通し、ようやく1つの制作物ができあがります。地味で、時間がかかって、目の奥がずーんと重くなってくる作業です。

人の集中力などたかがしれていますし、大したことありません。もちろん、自分を含めて、です。