電車の中の恋人

酒とタバコと電気ベースと料理とキャリア…まあいろいろ

続・器の小さい男

「明日、横浜に行くんだけど、もし時間があったら会えないか?」― 起きたら1通のメールが届いていました。助教授に就くことになった学生時代のゼミの同期からです。

講演の打ち合わせで横浜市立大学に来るとのことでした。打ち合わせは昼すぎに終わるそうで、せっかく横浜まで来るのだからついでに私に会っておきたいそうです。

「ついで、か…」と言葉尻をとらえ、またもや嫉妬心が首をもたげてきましたが、彼の努力の成果を祝ってやりたいという気持ちがあることは事実です。

また、私も彼に会い、話を聞くことによって、研究者への未練に踏ん切りをつけたい気持ちもありました。現実に目を背けているといつまでも前に進めません。研究者となった彼に会い、現実を見ようと思いました。

今日はバンドのリハやレコーディングの予定がなく、自宅で原稿を書こうと思っていたぐらいです。打ち合わせが終わってからJR京浜東北根岸線桜木町まで来てもらい、明るいうちから飲むことにしました。

彼と直接会うのは5~6年ぶり、いやもっとかもしれませんが、まったく変わっていませんでした。ボサボサの髪の毛にヨレヨレのシャツとジャケット、パンパンに膨れ上がった重そうなカバンで、遠目にもすぐ分かりました。

「全然変わってないな」「そうか?講演の打ち合わせだったから気を遣ってるんだけど。そういうお前も全然変わってないじゃないか」― 研究に行き詰まっていたころと違い、口調からも余裕が感じられました。

しかし、当たり前ですが、彼は数々の苦労を乗り越えていました。

30歳を過ぎても鳴かず飛ばず、母校の教授にも相手にされず、下手な鉄砲も数打ちゃ当たる気持ちでフランスのあちこちの大学に論文を送っていたら田舎町の小さな大学から講師として招かれたこと。

勢いで渡仏したものの毎日の食事にも苦労するぐらいの給料で、大学内の物置に住んでいたこと。そんな生活を3年間続けたところ、やけっぱちで書いた論文が評価され、パリの大学に異動したこと。

そこで出会った無名ながらも優秀な研究者に刺激を受けたこと、彼と切磋琢磨しているうちに書く論文すべてが高い評価を得るようになり、ようやく人並みの生活ができるようになったこと。

「俺には研究しかないし、研究がなければ生きている意味がない」

彼のひと言に私との差を思い知らされました。私は大学院入試に失敗してすぐ新聞社の秋採用を受けました。彼であれば、仮に大学院入試に落ちていたとしても、浪人して翌年にまた受けたでしょう。

私は研究の世界から逃げ出しました。もし研究に対して強い想いがあれば、恥を忍んで浪人していたはずです。つまり、研究に対して彼ほどの想いがなかったということです。

研究に行き詰まっていたころ、就職した私を見るたびに彼は「お前ですら諦めた研究者に俺なんかがなれるわけがない」と言っていました。

しかし、いまなら私はこう言います。「お前みたいなやつじゃないと研究者になれないのであれば、俺なんかがなれるわけがない」と。

「お前はまだ研究を続けているのか?お前が学部生のときに紀要に発表した論文、いまでもすごいと思ってる。あれを書き直してみたら高く評価されると思うし、俺が後押しすることもできるが」

彼に他意はまったくなく、純粋な善意による発言であることはよく分かります。ただ、大学のゼミでは私のほうが上だったのに、いまや彼が私を後押しする側になったことに、また醜い自分が顔を出しかけました。

しかし、彼の努力を聞き、自分の器を知りました。「いや、俺は趣味として続けている程度だから。在野の研究者としてお前らプロの世界を見ていくよ」と言うことができました。

そう、プロとしてでなければ、研究は別に大学でなくとも、仕事をしながらでも続けられます。私はそうして仏文学に携わっていけばよいのです。

「また一緒に飲んでくれるか?研究者同士で飲んでもみんな腹の中で相手を蹴落とそうと思ってるから楽しくないんだ。お前とだと純粋な気持ちで話せるから酒が美味いよ」

別れ際、彼はそう言って帰っていきました。お猪口並みの小ささだった私の器はせめて茶碗並みになったと思ってもよいでしょうか。ただ、丼並みになるにはまだまだ時間が必要です。

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