電車の中の恋人

酒とタバコと電気ベースと料理とキャリア…まあいろいろ

新聞記者時代

長時間労働や過労死に関する報道を見るたびに「どのマスコミも歯切れが悪いというか甘くないか?ふだんは対象をボコボコに叩くのに」と違和感を覚えている人がいるのではないでしょうか。

理由は簡単で、マスコミが長時間労働の筆頭だからです。長時間労働について批判しようものならブーメランになって返ってくるのが目に見えています。そもそも、自分自身のことを批判しているようで書けません。

働き方に関する話題を耳にするたび、新聞記者時代を思い出します。ここ数日、新聞やテレビ、ウェブはこの話題で持ちきりだったこともあり、ニュースを見ながら「この人たちの最後の休みはいつだったのだろう」と考えていました。

私は地方紙だったので、大手全国紙の記者と比べるとまだ楽だったと思います。しかも、生まれ育った場所だったので、気持ちに余裕のようなものもありました。土地勘があり、知り合いがたくさんいて、実家もありましたし。

とはいえ警察取材、いわゆるサツ回りだったときは、自宅滞在時間1時間だけだったり、数か月休みなしだったり、残業時間が毎月100時間を超えることなど当たり前でした。

友人の結婚式の最中に呼び出されて現場にかけつけたこともありましたし、苦労してホテルに連れ込んだ女の子といざコトに及ぼうとした瞬間に呼び出されて結局できなかったり。

しかし、私は生まれ育った場所だったのでこれでもマシで、大手全国紙の記者は原則として自分の担当エリアから出られません。もう何年も実家に帰っていないという何人もの記者に会いました。

兄弟や姉妹、親戚、友人の結婚式はダメ、祖父母の節目のお祝いなどもダメ、休みであっても何かあればすぐに向かえる場所にいなければなりません。

頭の中は常に仕事のことばかり、事件が発生したらすぐ現場に向かうとなると自宅でゴロゴロしているしかありません。そもそも、いつ電話が鳴るかとドキドキしている状態が休みと言えるのかどうか。

それでも何でそんなことを続けていたかというと…何ででしょう?見栄?意地?新聞記者と言うとカッコイイと言われるから?とにかく大した理由ではなかったと思います。

少なくとも辞めるという選択肢は思いつかず、辞めるぐらいなら死んだほうがマシと思ったこともありました。自分で意識していた以上に追い詰められていた証拠でしょう。

ただ、いまでも一瞬「仕事を放り投げて辞めるぐらいならいっそのこと」と思ってしまうのは、まだ新聞記者時代の考え方が残っているからでしょうか。われながら狂っています。

私には長時間労働を批判する資格がありませんし、マスコミの働き方を批判するつもりもありません。とりあえず、自分のことは自分でしか決められませんし、自分でしか責任を取れないのです。

今日も1日生き延びた!