電車の中の恋人

酒とタバコと電気ベースと料理とキャリア…まあいろいろ

名刺

名刺を出した相手とはその程度の付き合いしかできない ― 子どものころに読んだ小説にこのような一節がありました。当時は名刺など持ったことがなく、意味が分かりませんでしたが、いまではよく分かります。

パソコンやプリンター、名刺用紙などが普及し、誰でも簡単に名刺を作れるようになり、いまや学生でも当たり前のように名刺を持っている時代ですが、私が子どものころはそのようなことはなく、名刺とは大人の証のようなものでした。

大学を卒業して社会人になり、初めて名刺をもらったときの感動は、いまでもよく覚えています。社名や住所、電話番号、所属、自分の名前の上に「記者」と書かれていて、プライベートとは違うもう1つの顔を持った気分になりました。

新聞記者の名刺は強力です。大学を出たばかりの若造でも、記者と書かれた名刺で行政の首長や大企業の重役と対等に渡り合えるのです。これまでに名刺1枚でいろいろなところに飛び込んできました。

しかし、時間が経つにつれてありがたみもなくなり、むしろ自分の存在が名刺の厚さ程度の薄っぺらいものに感じられるようになりました。また、名刺を交換した相手とは仕事上だけの、表面的な薄っぺらい付き合いしかできませんでした。

これまで名刺を交換したのは何人だろう。新聞記者時代に相当な人数に会ったので、年齢や社会人経験の割には多く、1,000人は軽く超えていると思うのだけど。

出社したら注文していた名刺が届いていました。新聞記者時代は表のみで裏には何も書いてありませんでしたが、いまは表が和文、裏が英文になっています。表には「チーフエディター」、裏には「Chief Editor」と書かれています。

今回から業者が変わったため、フォントや紙質も若干、変わっています。まじまじと見つめていると、自分っていったい何者なんだろう?と考えてしまいます。名刺ごときから自分の存在意義を見いだそうというのもおかしな話ですが。