電車の中の恋人

酒とタバコと電気ベースと料理とキャリア…まあいろいろ

新聞記事=方程式

「新聞記者は文章のプロ」―世間ではこのように思われているかもしれませんが、そんなことはありません。もちろん、下手ではありませんが、決して上手といえるものでもありません。

少なくとも、私がこれまで見てきた新聞記者の中で「この人、なんて良い文章を書くんだろう」と思った人は、ほんの一握りです。そして、そういった人は早ければ数年、遅くとも11~12年で新聞社を退職しています。

多少なりとも文章に思い入れを持つような人であれば、新聞記者を続けることはできません。文章を書くことが好きで志望する人が多いはずで、私もその1人でしたが、10年弱で辞めました。

私の文章に対する思い入れを考えたとき、もっと早くに辞めているべきでした。ただ、私の場合、初めて会った女性に「お仕事は何をされているんですか?」と聞かれて、「新聞記者をやっています(キリッ)」と答えて、「えーっ!すごーい!」と言われて快感を覚える俗物根性に支配されていたため、そこまで引っ張ってしまいました。

だ、だって見た目がブサイクだから、せめて肩書きだけで虚勢を張ってみたかったの…。

出世争いに負けて販売や広告に回されたり、関連会社に出向させられて「よし、これから好きなことを書いて生きていくぞ」なんていう気持ちで退職した新聞記者が文章で食べていけることなどありません。世の中それほど甘くない。

新聞記事は簡潔・明瞭が鉄則です。文章を彩る形容詞や副詞は邪魔でしかありません。また、締切時間に追われて拙速に走りがちですから応用も利きません。新聞記者出身という作家もいますが、その中で在職中、記者として有能だった人が思いのほか少ないのもこんな理由からです。

私は新聞記事を文章だと思ったことはありません。新聞記事とは数学や物理の方程式です。無駄なものをいかに削ぎ落とせるか、どれだけ端的に事実だけを伝えられるか、ということが重要です。「新聞記者=文系学部」と思われがちですが、私は理系の人こそ新聞記者に向いていると思います。

これと同様、編集者も文章のプロと思われているフシがありますが、編集者は新聞記者に輪をかけて文章が上手くありません。それはまた別の機会に。