電車の中の恋人

酒とタバコと電気ベースと料理とキャリア…まあいろいろ

心の不調への理解

昔と比べていまは良い時代になったのか、それとも悪い時代になったのか。

通信技術や機器の進歩、それに伴うシステムの発展など、昔と比べものにならないほど便利になりました。ただ、便利=良いことなのかどうかは分かりませんが。

そんな中で、確実に良くなったと思うことが1つあります。それは、心の不調、いわゆるメンタルの疾患への理解が進んだことです。

新聞記者は全員、程度の差こそあれ心の不調に陥っています。分かりやすい鬱病から自律神経失調症、アルコール依存症まで多種多様です。

全国紙の政治部や社会部は超絶激務で、人としての心をなくすのは当たり前、結婚しても家庭が崩壊した記者を何人も見てきました。

私はその点、朝刊のみの地方紙の経済部だったので、彼らと比べれば楽々でしたが、もともと耐性が弱いこともあり、強烈なプレッシャーに追われていました。

睡眠不足からの鬱状態、徹夜明けの躁状態、眠くないのに眠らなければならないときの大量の酒など、いまになって思えば廃人一歩手前でした。

そのときに頼ったのがいまで言う心療内科でした。

学生時代に哲学や心理学をかじったので少しだけ知識があり、またいまであれば鬱病と診断されているであろう友人が周囲に何人もいたので、私には抵抗がありませんでした。

しかし、世間の理解度は皆無でした。当時は精神科と呼ばれ、窓には鉄格子、病院内には常に奇声が響きわたり、受診しようものなら「ヤバいヤツ」というのが世間一般のイメージでした。

実際、たまたま私の薬を見つけてしまった両親が怯えていましたし、古い考え方を持った別部署の先輩に「気合いが足らんからだ」と言われたことがありました。

心の不調は新しいものでなく、人が誕生したときからありました。私は精神科に駆け込めましたが、ガマンを続けて苦しんだ人がたくさんいたはずです。

それがいまや「心の風邪」「誰でもなる」という理解が一般的となり、それこそ「ちょっと気分が沈み気味だから早めに病院行こうかな」と気軽に通えるようになりました。

街中には心療内科やメンタルヘルスの看板を掲げた病医院が増え、殺伐とした雰囲気などなく柔らかな印象を与えています。

良い時代になったとしみじみ思います。

ここ最近、結構な悩みを抱えています。最近の心療内科を体験する意味でもちょっと行ってみようかと思ってみたりみなかったり。

世間一般で不惑と言われる年齢を過ぎたのに、人生の方向性がまったく定まらず、迷ってばかりです。パトラッシュ、僕は少し疲れているんだよ。

鬱々とした気分になるとつぶやいています → ずずず (@wakabkx) | Twitter