働く理由
何のために働くのでしょうか。
私を含む大多数の人々は「生きるために仕方なく」だと思います。ただ、他にもいくつかの理由があるのではないかと思います。
例えば、家族を幸せにするためとか、偉くなるためとか、金曜日の仕事帰りに餃子とビールを楽しむためとか。
うまっ!
学生時代のゼミの同期であり、いまや新進気鋭の若手仏文学者に頼まれて十数年ぶりに論文を書いたのが約1年前。
書き上げてからはすべて丸投げで論文集が刊行されたのが約半年前、それを読んで私と会って話したいという仏文学者がいると聞いたのは約3か月前。
wakabkx.hatenadiary.jpそしてきょう、論文集の企画者であるゼミの同期から、私の論文が注目を集めているとメールが届きました。
他の執筆者は“○○大学○○学部講師”などの肩書きがあるのに私だけ何もなく「こいつは誰だ?」となっているそうです。
大学院入試に失敗したときはこの世の終わりだと思いましたが、私は研究者の器ではなかったということですし、いまは失敗してよかったと思っています。
修士課程であればともかく、博士課程まで進んでしまっていたらもう後戻りできません。博士課程で失敗するより、それ以前で失敗してよかったのです。
街中の(汚い)中華料理屋で餃子とビールを嗜んで1,000円ちょっと。貧乏研究者でもそれぐらいのお金は得られるはずです。
しかし、もっと高級なものを食べられるもののあえてそれを選ぶことと、それしか選べないことには大きな差があります。
がんばって働いた金曜日の夜のささやかな1人飲みに幸せを感じますし、これを幸せと感じられる自分はまだ狂っていないと実感します。
サラリーマンの皆さま、今週もお疲れさまです。土日休みでない皆さまもお疲れさまです。来週もがんばりましょう。