電車の中の恋人

酒とタバコと電気ベースと料理とキャリア…まあいろいろ

Facebookの功罪

先日の仕事帰り、オフィス最寄り駅で学生時代のサークルの同期とばったり遭遇しました。帰宅時間のターミナル駅だったので、たくさんの人があふれていました。

直接、顔を合わせたのは大学卒業以来なので17年ぶりです。ただ、Facebookでつながり、近況を知っているせいか、そこまで久しぶり感はありませんでした。

Facebookのおかげで、社会人になってから懐かしい人々と再会できました。大学の同期や先輩、後輩はもちろん、高校、中学の同級生まで連絡が取れました。

私が大学を卒業するころ、ようやくケータイが手頃な価格になり、PHSを逆転し始めたところでした。ドコモのiモードが始まったのがその前年です。

PCの通信環境もようやくADSLが普及し始めたころでした。オフィスだけでなく、一般家庭でもインターネットへの常時接続とEメールが当たり前となりつつありました。

ただ、ケータイやPHSにナンバーポータビリティなどなく、大学を卒業して電話番号が変わった友人が続出しました。またPCのメールアドレスも簡単に変わりました。

社会人になったばかりでみんな忙しく、学生時代の同級生のことを考える余裕などありませんでした。そうして気付いてみると、音信不通になっていました。

そこに出てきたのがFacebookです。友達申請してきた同級生を皮切りに、彼の繋がりからあっと言う間に懐かしい人々と繋がることができました。

ただ、モニターを通して毎日のようにお互いの出来事を見ていると、頻繁に会っているような錯覚に陥ってしまいます。先日会った同期とも、ついこの前、会ったような気分でした。

やはり直接会って、お互いの顔を見ながら、声を聞きながら酒を酌み交わすのはとても大切なことです。Facebookによって、それをつい忘れてしまいがちになりました。

先日の同期との再会をきっかけに、当時のメンバーで同期会をやることになりました。みんな仕事と家庭で忙しく、日程調整に苦労していますが、久しぶりの再会を楽しみにしています。

ちなみに、このやりとりもすべてFacebookのメッセンジャーです。便利であると同時に複雑な気持ちになります。ツールを使いこなしたいと思いながら、このままツールに使われるのかもしれません。