電車の中の恋人

酒とタバコと電気ベースと料理とキャリア…まあいろいろ

器の小さい男

「どちらかを○で囲んでください」と書かれた返信はがきを何日も見つめた挙げ句、「欠席」の文字をゆっくりと○で囲みました。

なんて器の小さい男なんだろう…。

学生時代のゼミの同期が助教授に就くことになりました。同期一同を中心にささやかなお祝いをすることになり、私も招待されたのですが、悩んだ末に欠席にしました。

彼がもがき苦しみながら研究を続けてきたことを知っています。彼が諦めようとしていたとき、何度か相談され、そのたびに励ましていました。

研究者になる、特にそれが文学の世界であれば時間がかかります。30代になっても自分1人が生きていくのもやっと、というのが当たり前です。そのため、実家が裕福である人間が比較的、多くなりがちです。

しかし、彼の実家は裕福でなく、奨学金がなければ大学に進学することすら不可能でした。学部生のころはいつもバイトで、いつ勉強しているのだろうと不思議に思っていました。

30歳を過ぎても住まいは学部生のころと同じ風呂無しのボロアパートで、大学の非常勤講師になっていたもののそれだけで生活できるわけがなく、予備校でバイトしていました。

就職した同期たちが初任給やボーナスに浮かれているのを横目に、コツコツと研究を続けていましたが、どうしても心が折れそうになるときがあり、そのときに何度か相談を受けていました。

「お前ですら諦めた研究者に俺なんかがなれるわけがない」― 私に相談しながら安酒をあおり、彼はいつもそう言いましたし、私も心のどこかでそう思っていました。

学部生のころの彼は並みでした。教授も同期もゼミでトップだった私が研究者になるだろうと思っていました。しかし、現実は彼が大学院に進み、私は試験で落ちました。

研究を続ける彼を応援する気持ちと同時に、どうせ無理だろうという気持ちがありました。それに気づくたび、自分の醜さと向き合ってきました。

彼が今回、助教授に就任すると聞き、純粋に喜ばしいと思うと同時に、嫉妬心が首をもたげてきました。鏡を見るたび「自分はなんて醜いのだろう」と思いました。

お祝いのパーティーは来週の土曜日です。私はライブがあるためそもそも出席できません。出欠を考えるまでもないのですが、それでも数日間、返信することができませんでした。

もし、何の予定もなかったら出席していたのだろうか。彼の努力と成功を素直に祝うことができていたのだろうか。彼と大きな差がついてしまった私への同期の視線に耐えられたのだろうか。

どうしても外せない予定が先に入っていて良かったと心の底からほっとしています。醜い自分に対して「ライブがあるから仕方なかった」と言い訳ができますから。

「日を改めてサシで飲もう。また連絡する」と彼にメールしました。彼からは「お前のライブを観られなくて残念だ」と返信がありました。

その文面が「お前に自慢できなくて残念だ」と見えてしまう私は器の小さい男です。