自律
金銭感覚が狂っている男ほど醜いものはありません。
これを言い換えれば、自己管理ができておらず欲に縛られている、自らを律することができていないということであって、自由な人間ではないということになります。
毎晩飲み歩き、女性を取っかえ引っかえ、「オレは何ものにも縛られず自由だ」と豪語していた知人がいましたが、端から見れば欲に縛られており、その時点で自由ではありません。
一見すると地味と思われる仕事を辛抱強く毎日コツコツとこなして家族を支え続ける、世間的には平凡なサラリーマンと呼ばれるような人間こそ自由であり、尊敬に値すると常に思っています。
自由な人間とは自らを律することができる自律した人間のことであり、私は常に自由でありたい、自律した人間でありたいと思っています。
ふみちゃんを見て、想いが届かないことを再認識し、何となく真っ直ぐ帰りたくなくなり、今夜も軽く飲んで帰ろうかと思ったのですが、やめました。
先日、蕎麦屋で少し贅沢をしてしまったからです。いつものもつ焼き屋や立ち飲み屋であれば2,000円弱ですが、それでも無駄遣いは控えるべきです。
それぐらいは微々たるものですし、蕎麦屋で少し贅沢したといっても、毎日きちんと働いている1人暮らしの男には痛くもかゆくもありません。
これまで努力してスキルを磨き、キャリアを積み上げ、世の中の平均年収を大きく超える給料をもらっています。自慢でも何でもなく当然のことです。
しかし、だからといって好き勝手に浪費してよいわけではありません。守るべきものを持つという義務を果たしていないのですから。
私のように自由に使えるお金が多い人間は特に強く意識しなければ鳴りません。ほんの少し気を緩めるとすぐ欲に縛られてしまいます。
新しい楽器を買うべく、数か月前から節約生活を続けています。貯金ですぐにでも買える金額ですが「もし家庭があったら」と想像し、抑えています。
いまのペースでいけば、年末には買えるかな。