電車の中の恋人

酒とタバコと電気ベースと料理とキャリア…まあいろいろ

続々・編集者

専門書は著者の心意気によって出来上がっていると言っても過言ではありません。食べていくだけの稼ぎは本業で賄えているので印税でどうこうしようという気持ちはなく、純粋に自身の知識を他者と共有したいと思っているだけなのです。

そう、純粋なのです…。

きょう書籍出版事業の廃止と他社への版権委譲の説明に伺った著者は特に純粋な人で、自身の知識と弊社のブランドが掛け合わされることによって、多くの人のためになる書籍ができるであろうと思ってくれていました。

だからこそ、他社から刊行され続けるということに納得できず、説明に伺った私に詰め寄ってきたわけです。刊行できればよいというわけではなく、弊社からでないとダメなのです。

私は著者の気持ちが痛いほど分かります。しかし、悔しい気持ちは私も同じであるものの「米国本社の経営判断です。大変申し訳ありません」と頭を下げるしかありません。

著者も私一人がどうこうできる問題でないことをよく分かっています。しかし、それでも私を責めずにはいられないわけです。著者のその気持ちもよく分かるため、私は何も言えず、頭を下げるのみでした。

著者と顔を合わせてから1時間以上、頭を下げっぱなしでした。著者も最終的に「分かった。後の手続きについては改めて連絡してほしい」と折れてくれましたが、お互いに後味の悪さしか残りませんでした。

著者も私も純粋に良い書籍を世に送り出したかっただけです。しかし、企業はそれだけで成り立ちません。特に全世界でビジネスを展開している弊社のような大企業はとにかく利益を生み出さなければなりません。

決して短くないサラリーマン生活で、理不尽なことはそれこそ数え切れないほど経験してきました。きょうのやり取りもいずれ、理不尽なことの1つとして数ある記憶の中に埋もれていくのかもしれません。

学生時代やサラリーマンになったばかりのころであればとにかく強く反発していただろうと思います。しかし、いまは少なからず納得できている自分もいます。いつからこうなってしまったのでしょうか。

隠された真実を伝えたいと思って新聞記者になりました。その後、世に知られていない役に立つ知識を伝えたいと思って編集者になりました。しかし、結果として何も生み出せていないことをきょう再認識しました。

私がこれまでやってきたことはいったい何だったのだろうか ― アイデンティティが揺らぎますし、いっそのこと消えてしまえれば楽なのでしょうけど、それでも生きていかなければなりません。

迷って悩んで頭を抱えて、泥の中をのたうちまわって、地べたに這いつくばって土下座して、もがき続ける毎日です。

(終わり)