電車の中の恋人

酒とタバコと電気ベースと料理とキャリア…まあいろいろ

他人のために書く文章

自分のために書く文章と、他人のために書く文章は違います。

「何をそんな当たり前のことを」と思われるかもしれませんが、プロを名乗りながらそれができないライターがたくさんいます。

他人のために書く文章とは、相手が「これを取り上げてほしい」と指定したことを書いた文章で、ライターがどう感じたかは必要ありません。

構成や話題のつなぎなどを考える必要はありますし、話し言葉を書き言葉に整えるといった必要最低限の技術は求められます。

また、相手にとって当たり前でも読み手は知らないであろうと思われる専門用語をかみ砕いて説明するといったことはよいと思います。

しかし、相手が話したことを自身で解釈して的外れなことを書いたり、自身の主観を述べたり、それがどれだけ良い意見であったとしても、本件では誰もそんなことを求めていません。

誰がどこから見つけてきたのか知りませんが、名刺に「ライター」と書いてありますし、ほかでも書いているようですので、プロのライターなのでしょう。

そしてプロであるならクライアントの指示どおりに書くべきです。書きたくないのであれば受けなければよいだけです。いったん受けたのであればきちんと書け。

何が言いたいかというと、ライターから納品された原稿のひどさにうんざりした編集長から「ずずずさん、書き直して」と言われて困っているのです。

ざっと読ませてもらったところ、確かにひどく、書き直したい気がふつふつとわき上がってくるのですが、受けたらもう首が回らなくなります。

営業に確認したらライター代は高くなく「この金額で受けてくれるのであればこれぐらいか」というレベルなので仕方ないのですが。

い、1本だけなら書いてあげようかな…。