電車の中の恋人

酒とタバコと電気ベースと料理とキャリア…まあいろいろ

後輩が父親になる

「ずずずさん、子ども生まれました!今度、顔を見にきてください!」― 前の会社の後輩から連絡がありました。ミスばかりしていたひよっこが父親に、しかも残っている同期に聞いたところいまや社会部を支えるエース記者の1人だそうで。

彼と私が一緒に仕事をしていたのは1年間だけです。私がいた支局に、彼が新卒で配属されてきました。彼と初めて会って話をしたとき「こいつはもたないかもしれない」と思いました。

能力、体力ともに申し分なく、久しぶりに人事部が良い仕事をしたと思ったのですが、いかんせん理想が高かったのです。新聞が社会の公器であると疑わず、自らの記事によって何かを変えられると信じていました。

それは決して悪いことではありません。私も当初はそうでした。しかし、新聞社といえども営利企業であり、新聞記者は営利企業に属するサラリーマンです。理想だけで続けられるものではありません。

新聞記者はある種の特権を与えられています。ただし、その分、本来は見るべきでないものまで見えてしまいます。マスコミが“マスゴミ”と呼ばれることをせざるを得ない局面に直面するなど、特権に対する代償の支払いを求められます。

彼はそれに耐えられないのではないかと思いました。自分が“マスゴミ”と呼ばれることを受け入れられず、私を含めた全員「どうせ1~2年で逃げてしまうだろう」と見ていました。

しかし、彼は逃げませんでした。彼が支局に配属された1年後、私は本社の経済部に異動になったので、彼のことはたまに小耳に挟む程度でしたが、数年後に彼が本社の社会部に異例の異動で再会した際、「あっ、こいつエース記者になる」と思いました。

私が異動になった後の支局で彼が何を見てきたのか、詳しく聞いていません。ただ、本社で隣の島にいる彼の仕事ぶりを見ていると、良くも悪くもいろんなものを見てしまったもののきちんと消化してきたことが分かりました。

マスゴミの汚名に耐えられず逃げ出したのは私のほうでした…。

これは経験者にしか分からないことですが、新聞社の社会部は本当に過酷です。私の前の会社は地方紙だったのでまだマシです。大手全国紙の社会部ともなれば、精神的に何らかの異常をきたしている記者がゴロゴロいます。

それでも、彼は逃げずに仕事と向き合っていますし、父親にまでなりました。私が辞めてからも何度か会っていて「ずずずさんは俺の憧れっす!」と言ってくれるのですが、私にはいつも彼が眩しく見えます。

出産祝いに好きでもないベビー用品などもらってもありがたくないだろうと思い、仕事帰りに横浜駅前のそごうで商品券を数万円分、購入して送りました。現金だとさすがに生々しいですが、本当に必要なのはお金でしょう。

結婚、子ども…自分にそれらが訪れる日がまったく想像できません。友人の結婚祝いや出産祝いに相当の出費をしてきたので、何とか回収したいと思っているのですが、ふみちゃんのことばかり考えているようでは無理なのかもしれません。