電車の中の恋人

酒とタバコと電気ベースと料理とキャリア…まあいろいろ

解体

私が新聞記者を辞めたのは、会社が紙面作りをないがしろにしてでも目先の利益を上げるよう、記者に強制したからです。ごくわずかとはいえ、記者に広告のノルマを課してくるとは思いませんでした。

新聞社での私の最後は経済部でした。経済部は他部署と比べて民間企業と接することが多く、確かに広告を取りやすい面があります。実際、社長にインタビューした企業から広告の出稿を取りつけたことが私も何度もあります。

ただ、それはあくまでも付随的なものであって、メインは取材です。真摯に取材したからこそ後から広告がついてきたのであって、広告を前提に取材したら良い記事は書けません。

これまでにも何度か書きましたが、良いものであれば無条件で売れるということはありません。新聞でも書籍でもそれは同じです。良いものを作っても売れなければ意味がなく、売れたものが良いものであるともいえます。

「社会の公器として国民の“知る権利”の代弁者である」といったところで、新聞社も営利企業です。発行し続けるために利益を上げなければなりません。それはよく分かるのです。

しかし、新聞社の存在理由である紙面をないがしろにしてまで上げた利益に意味があるのか。短期的には良いだろうが、長期的には悪いのではないか。結果的に自分で自分の首を絞めることにならないか。

いくら少額であっても、ノルマはノルマです。新聞記者とはいえ会社員です。意識的にしろ無意識的にしろ、誰だって自分の評価や雇用を気にしてしまい、ノルマを優先して取材が疎かになってしまいます。

上層部に噛みつきました。そして、経済部は解体されました。もちろん、経済部がなくなったというわけではありません。ただ、1人を残して総入れ替えという、結果的に解体と同じ状況になりました。また、私は辺鄙な場所にある通信部への異動を命じられました。

当時の経済部は良いチームでした。新聞社の花形である社会部や政治部に引けをとることなく、また経済専門紙を何度も抜くスクープをとるなど、全員の意識が“良い紙面作り”で一致していました。

いまの会社の編集部も良いチームです。全員が読者のためになる書籍作りを意識し、真摯に取り組んでいました。それが解体されてしまいます。経済部が解体されるときに、あんな思いは二度としたくないと思ったのですが、また同じ目に遭うとは。

ふと当時の経済部のメンバーで撮った写真を見て、妙に感傷的になってしまいました。危険だな、明日キレてしまうかもしれません。ふみちゃんに頭をなでなでされながら「キレちゃダメよ」と言われたら、何を言われてもガマンできるのですが。