電車の中の恋人

酒とタバコと電気ベースと料理とキャリア…まあいろいろ

ものづくり

「俺はずっとものづくりを仕事としてきたから、お前の会社の商売がよく分からん」― 一昨日の土曜日、実家に行って両親に転職先のことを話してきました。

私の会社の核はデータです。全世界的に保有している膨大なデータそのものの販売はもちろん、それを基にしたコンサルティングで莫大な利益を上げています。

以前にも書きましたが、私の親父は日産自動車の技術屋でした。出世より自分で手を動かしていることが好きで、レース機器の開発にも携わった職人です。

パソコンや個人の頭の中にある手に触れられないものからお金を生み出すことが理解できない、本音を言えばそんなことは仕事でないと思っているのが言葉の端々から感じ取れます。

ただ、私はその中でも紙媒体や印刷物を制作する部門にいます。手に触れられるものを作っているという点では親父と同じであり、この点については納得しているようです。

フランスのルノーからカルロス・ゴーン氏が乗り込み、日産リバイバルプランを錦の御旗にバッサバッサと下請企業や従業員のクビを切っていきました。

親父は技術屋だったので生き残りましたが、現場はかなり苛烈だったそうです。親父とサシで飲むような年齢になり、たまに飲むと当時のことをポツリとこぼすことがあります。

私が前職に入社するとき、外資と言った瞬間に黙り込み、退職合意書へのサインを迫られたときには「やっぱり」と言っていたことをよく覚えています。

要は外資が嫌いなのです。それでいて私がまた外資に転職したことをあまり良く思っていないわけです。ただ、1度でも外資に足を踏み入れてしまったら日系に戻れないので仕方ありません。

いつまで続くか分かりませんが、とりあえずビックリするぐらいの給料をもらっていますし、自分1人が生きていくだけなら何とでもなります。心配するな、親父。

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晴れていれば大山が見えるのですが、あいにくの空模様でした。横浜にいると海は見えても山など見えません。もう少し涼しくなったら大山に登ろうか。

それにしても海老名駅周辺がずいぶんと変わりました。昔は一面に田んぼが広がっていたのですが、来るたびに新しいマンションやモデルルームができています。

私はこんなクソ田舎に住みたいなどと思いませんが。地元の厚木にも高校生活を過ごした海老名にも良い思い出がありませんので。