電車の中の恋人

酒とタバコと電気ベースと料理とキャリア…まあいろいろ

所有と消費、そして煩悩

所有するものではなく消費するものとして捉えられるようになった ― ニュースサイトを見ていたところ、書籍に対する捉え方の変化に関する記事を目にしました。

以前から言われていることですし、書籍だけでなく音楽にも当てはまることです。ただ、新しい書棚を購入し、キレイに並べた書籍を眺めていると、そのことを改めて実感します。

書籍はもちろん読むために購入しますが、それと同時に所有することに喜びを感じます。読み終えた書籍を書棚にキレイに並べ、ふと思い出したときに読み直してみることが楽しいのです。

マンガでもそうです。書棚とは別にマンガ棚を用意するほどのマンガ好きですが、各タイトルがあいうえお順に、1巻からキレイに並んでいるのを眺める時間が好きです。

しかし、最近は手軽に早く消費できることを求められます。読みたいと思った瞬間に1度だけ読めればよく、時間をおいて読み返すことは滅多にありません。

消費するものとして捉えるのであれば、電子媒体は最良の形です。書店が開いていない、宅配便が届かない時間帯であっても、24時間365日、自分の好きなときにダウンロードして読めるわけですから。

新しい書棚を購入したのは、退職するときにオフィスから大量の書籍を持ってきたからです。自分が企画・制作を担当したものだけでなく、かつての仲間の担当タイトルも持ってきました。

書籍出版事業の廃止が決まってからオフィス内の倉庫に保管されていた過去のタイトルが廃棄処分されましたが、それがどうしても辛く、各タイトルを1冊ずつ持ってきました。

電子媒体はとても便利だと思います。わざわざ書棚を購入し、狭い部屋をさらに狭くするようなことがなく、手の平サイズの電子機器に何百冊と入れられるわけですから。

ただ、実物を所有し、手で触れたとき、その書籍が帯びている思い出がよみがえります。特に私の場合、著者との面倒なやり取りや書店でのフェア開催までの苦労を思い出します。

紙媒体は今後も衰退し続けるでしょうし、それは仕方ないことです。新聞から書籍と長年、紙媒体に携わってきた私が最もよく分かっていますし、身をもって痛感しました。

書籍は今後、レコードなどと同じようにごく一部のコレクター向けになっていくはずです。寂しいことではありますが、残っていけるだけマシなのでしょう。

ところで現在、午前04時15分です。眠れないのですが、酒を飲んでいないからではありません。むしろ、酒なら「これでもかっ!」というぐらい飲みました。

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左からすっぽんの生き血を日本酒で割った生き血酒、すっぽんの胆のうをお酒に漬けた胆のう酒、すっぽんのエキスと数種類の漢方を混ぜたすっぽん酒を飲んでしまったからです。

夜更け過ぎに横浜のバンドシーンの大御所に呼び出されたのが運の尽き。すっぽんちんちん焼きなるものまで食べさせられてしまいました。

大御所は70歳を過ぎたジジイだから問題ありませんが、私は煩悩の塊である健全な男子です。こんなものを夜更けに飲み食いしたら下半身が大変なことになるわけです。

悶々としたまま夜明けを迎えそうです。