電車の中の恋人

酒とタバコと電気ベースと料理とキャリア…まあいろいろ

さようなら、ふみちゃん

ふみちゃんの夢を見ました。

いつもの電車で、いつものように隣に立ち、ふみちゃんはずっとスマホを触っていて、私はそんなふみちゃんに話しかけたいと思いながら何もできないという、かつての毎日の風景です。

毎朝の通勤電車で一緒になる女性に一目惚れするなど、これほど現実離れしたことはありません。ストーカーの思考と何ら変わりありませんし、女性にとっては恐怖だと思います。

自分が何も知らないところで見つめられて想いを寄せられている、通勤というごく普通の日常にいつの間にか入り込まれていることほど怖いことはないはずです。

ここをご覧いただいている方は全員、私の視点しか分かりません。「上手くいきますように」「切ないですね」というメッセージをいただくことがありますが、そこにふみちゃんの気持ちはまったく関わっていません。

もし、ふみちゃんがここを見たら「怖い」のひと言しかないと思います。ふみちゃんの気持ちを完全に無視した私の自己満足でしかありません。

ただ、ふみちゃんが毎朝そこにいたおかげで私は救われていました。書籍出版事業の廃止と書籍編集部の解体、同僚たちの会社都合による退職に直面しながらも何とか踏みとどまれたのは、ふみちゃんが毎朝そこにいたからです。

退職合意書へのサインを迫られたとき、自暴自棄になりかけ、勢いで辞めそうになりましたが、ふみちゃんをふと思い出し、そこから「制作途中のものを刊行しなきゃ」と冷静になりました。

制作途中のタイトルを昨年末ですべて刊行し、私の役目は終わりました。いい加減、いつまでもふみちゃんを想っているわけにもいかず、一歩を踏み出すことにしました。

ふみちゃんに会うことはもう2度とありません。

ツイッターで先日、自分の寿命を10年分、分けることで、飼い犬の寿命が1年延びるという姿を描いたマンガが話題になっていました。ふみちゃんを犬に例えるのは失礼ですが、いまはそれと同じような気持ちです。

もし今後、私に用意されている幸せがあるのであれば、私には不要なのですべてふみちゃんに分けてほしいのです。ふみちゃんがずっと元気で幸せであれば、私の幸せは必要ありません。

これまで何度も書いていますが、ふみちゃんは笑うと目がなくなります。一緒の電車に乗っていたころはふみちゃんのそばに同僚がいたおかげで、目がなくなる笑顔を何度も見ることができました。

ふみちゃんがいつまでも目がなくなる笑顔でいられることが私の願いです。時間とともに薄れていくであろう、ふみちゃんの目がなくなる笑顔を励みに、外人どもとの新たなバトルに向かいます。

次の会社は日本法人だけで1,000人弱、グローバルでは5万人を超え、いまの会社を超える大企業です。ふみちゃんがいてくれたら…と心細くなりますが、ブサイクには過ぎたる願いです。

さようなら、ふみちゃん。