電車の中の恋人

通勤電車で一緒になる女性に恋して散ったブサメンの日常

横浜大空襲

73年前のきょう、横浜市中心地域に米軍による無差別爆撃が行われました。1945年5月29日に起きた横浜大空襲です。約1万人の死者が出たと言われています。

私がいま住んでいる場所のすぐ近くでは甚大な被害となり、Google先生に「横浜大空襲」と聞くと閲覧注意の写真が出てきます。東京大空襲や広島・長崎の原爆の他に横浜も大空襲に見舞われました。

マンションのオーナーさんは御年84歳です。横浜大空襲の記憶が残っている年齢で、以前、ほんの少しだけ話を聞いたことがありますが、すぐに口をつぐんでしまいました。

私の父方の祖父はずいぶん前に亡くなりましたが、太平洋戦争時には旧満州に出征し、旧ソ連軍の捕虜となってシベリアに抑留され、何とか生き延びて帰ってきたそうです。

私は子どものころから祖父の弟にうり二つと言われてきました。祖父は私が顔を出すたび嬉しそうにしていましたが、それと同時に何となく悲しそうな表情になったことを幼心によく覚えています。

私は祖父の弟に会ったことがありません。祖父の弟は特攻隊として終戦間際に沖縄付近で米軍の艦隊に零戦で突っ込み、戦死したと聞かされています。

“聞かされています”という曖昧な表現なのは遺体が見つかっていないからです。特攻隊として出撃したのであれば当然、亡くなっているはずですが、祖父はずっとそれを認めませんでした。

このような経緯があるせいか、太平洋戦争とはいったい何だったのか、ずっと考えています。太平洋戦争や特攻隊をテーマにした映画やドラマ、小説は多々ありますが、祖父や祖父の弟は当時、何を考えていたのか。

特に祖父の弟にうり二つと言われて育ったせいか、祖父の弟が零戦で突っ込む瞬間、何を見て何を思ったのか知りたいとずっと思ってきました。もちろん、それを聞くことはできませんが。

私はいま、米国の会社の日本法人で働いています。正直なところ、転職するときに祖父の弟のことが脳裏をよぎりました。自分の兄の孫が米国の会社で働くことをどう思うのか、と。

時代は変わり、そのようなことは考えるまでもありませんし、そもそも祖父の弟は米国が憎くて戦っていたわけではないはずですが、ふと思ってしまいました。

毎朝、満員電車に揺られて出社して、夕方にオフィスを出て自宅に帰るという当たり前の生活を送れることがいかに幸せであるか、ふと気になったわけです。