論理と理論
私は学生時代、バルザックやスタンダールを中心とする仏文学を専門としていましたが、一時期はデカルトに傾倒して西洋哲学を専攻しようかと迷ったことがあります。
フランス語という言語は世界に数ある言語の中でも特に論理的にできていると言われています。そのような言語を用いてデカルトが書いた文章は当然、一分の隙もないものになります。
大学に入ってからフランス語の勉強を始めました。仏和辞典と仏仏辞典を片手に少しずつでしたが『方法序説』や『哲学原理』を読み進めるたびにワクワクしたものです。
そこから論理学に興味が湧き、アリストテレスを手始めにカントやライプニッツ、ラッセル、ホワイトヘッド、ポパーといった哲学者の書籍を読み漁りました。
前置きが長くなりましたが、私は論理が大好きなのです。
「シックス・シグマ」というものがあります。某米国企業が開発した品質管理・経営手法です。意識高い系の外資系コンサルタントにとっては基本中の基本でしょう。
「論理」と「理論」の違いを考えたことがあるでしょうか。文字の並びを入れ替えただけですが、この2つには大きな違いがあります。説明し始めるとものすごく長くなるので簡潔に書きます。
理論とは既に導き出された答えであり、論理とはその答えを導き出すための過程です。
英訳してみるともう少し分かりやすくなると思います。理論はTheory(セオリー)で、論理はLogic(ロジック)です。
「これはセオリーどおりだ」と言いますが「これはロジックどおりだ」とは言いません。「セオリーを知っている」と言いますが「ロジックを知っている」とは言いません。
私はあくまでも「論理」が好きなのであって「理論」にはそれほど興味はありません。シックス・シグマは理論であり、したがって私はシックス・シグマに興味をそそられないわけです。
明日と明後日の2日間、シックス・シグマに関する研修を受けさせられることになりました。グローバルから講師を招き、9時30分~17時00分でみっちりです。
もちろん英語で…。
会話ならまだ何とかなりますが、理論の研修を1日中、英語で受けるのは地獄です。明日と明後日の2日間、知恵熱で頭が茹だってしまい、ブログを更新できないかもしれませんのでご了承ください。