記者は嫌われる存在
記者は嫌われる存在です。
情報としての価値に程度の差こそあれ、その情報を持っている人が「隠したい」と思っていることを明らかにしてしまうことが仕事だからです。
ニュースの英語の綴りは「news」であり「新しいこと」を意味します。伝えられて初めて知る、それまで誰も知らなかったということです。
それはつまり、誰にも知られないよう隠していたということと同じです。もちろん無意識的の場合もありますが、意図的であることがほとんどでしょう。
「新人の話を聞いてやってほしいんですが」― 新聞記者時代の後輩から連絡をもらい、後輩と新人に昨夜会ってきました。
話を聞いたところ、市役所を担当しているそうなのですが、ある住宅街のT字路へのカーブミラーの設置が決まったことを書いたら、市役所の担当者にこっぴどく怒られたそうです。
「たかがカーブミラーの設置ぐらいで大げさな」と思われるかもしれませんが、新人はそのせいで、入社から半年弱なのに辞めたいと言っていました。
確かに大げさかもしれません。しかし、設置が決まるまでの事情や経緯を聞き、担当者が想像以上に怒った理由が理解できました。
倒産する不安もなく、給料は悪くない、それでいて仕事が楽と思われがちな公務員ですが、いまは日本全国どこの行政もいっぱいいっぱいです。
ただでさえ年々、予算が減らされているのに、インターネットの発達によって市民が情報を得やすくなり、ほんの些細な支出にまで目が光っています。
カーブミラーを1本、設置するのも市民が納めた税金を使うため、1円たりとも無駄にできません。予算確保までに侃々諤々の議論があります。
当たり前ですが、行政への要望はこれだけではありません。規模の大小はありますが、無数の要望が寄せられています。
そのT字路は以前から事故が多く、周辺住民は数年前からカーブミラーの設置を要望していたそうですが、なかなか予算が確保できなかったそうです。
その間にも事故は頻繁に発生していたそうです。そして要望から数年経ち、ようやく予算確保の見込みがついたとのことでした。
担当部署にとっても周辺住民にとっても悲願が叶う瞬間だったわけです。しかし、新人はそのことを理解せず「たかがカーブミラー」と、軽い気持ちで書いたそうです。
行政はマスコミに敏感です。新人は周辺住民の立ち話を耳にして書いたそうですが、誰が話したのか、行政内部ですぐに犯人探しが始まります。
まだ本決まりではなかったので、マスコミにペラペラ話したことが分かれば立ち消えになる可能性も十分にありました。
新人は背景を知って初めて立ち消えになった場合の責任を理解し、記者という仕事が急に怖くなってしまったそうです。
いくつか失敗することで仕事ができるようになる、むしろ失敗を経験しなければいつまで経っても仕事ができるようになりません。
ただ、それを頭で理解していても失敗はキツいものです。しかも大学を卒業したばかりの20代前半の若者にとっては高いハードルです。
私が新人だったころ、同じような失敗を何度もしました。気持ちは痛いほど分かります。しかし、それは自分で乗り越えなければなりません。
私の失敗例をいくつか伝えたのみで、即効性がある有効なアドバイスはできませんでしたが、別れ際、新人の表情が少しだけ明るくなっていたのは救いです。
情報の受け手にとって、例えば大物政治家の資金絡みの疑惑と地方自治体のカーブミラーの設置は比べものにならないと思うでしょう。
しかし、当事者にとっては同レベルの大問題です。これから記者として生きていくのであれば、そこにもっと敏感になる必要があります。
新人がそれを理解してくれたのかどうか、私の失敗例をきちんと受け止めてくれたのかどうか、後輩からの連絡を待つのみです。
ちなみに「何でオレに相談した?」と後輩に聞いたところ「いやー、ずずずさんが怒られている場面をよく見たので…」と返されました。
…
……
………
…………ぶっコロ助!
てっきり社内の事情を理解した上で社外からの客観的な視点で意見を述べられる貴重な存在と思われていたと考えていたのに。
いや、この後輩も新人のころは使えなかったのに、いまはこうして新人を心配できるようになるまでに育ってくれたことを喜ぶことにします。
チクショー…。