電車の中の恋人

酒とタバコと電気ベースと料理とキャリア…まあいろいろ

礼をもつ

私は他の方のブログにコメントなどを滅多に書き込みません。理由は簡単、自分の知識の浅さやバカさを露呈したくないからです。

私がよく拝見しているブログはいわゆる日記が多く、そのようなブログは1本のエントリーが書き上げられるまでにさまざまな過程を経ています。

例えば、ある日のエントリーで珍しく怒りをあらわにしている方がいたとして、その方の人となりやそれまでの経緯を知っていれば「怒るのも当たり前」と理解できます。

しかし、そのエントリー“だけ”を見て不快に思い、「お前が悪い」「偉そうに何様のつもりだ」と書き込む輩が現れます。

しかも、そういう輩に限ってそのエントリー“だけ”でさえ読み間違えているものです。コメントなどを書き込むことによって文章が読めないことを自分から白状するなど恥ずかしくてできません。

私は「それを面と向かって言える」と思ったときしか書き込みません。初対面の方に「お前」などと言えるわけがありませんし、タメ口で話しかけるなどできないので、そのように書き込むこともありえません。

ブログを読み続けていて人となりやそのエントリーが書かれるまでのことを理解している、もしくは書き込まずにいられないほど心を動かされた、といった場合以外、書き込みません。

このほか、単純に疑問に思ったことを教えてもらいたいとか、スイーツの写真を見て美味しそうとか、書き手を傷つけることがないと明らかに分かる場合だけでしょうか。

どのような相手であっても礼をもって接する、特にウェブ上であれば顔が見えないからこそ面と向かうときよりも気を遣う、私は常にそう考えています。

あとは「それを自分に向けて書き込まれたら、言われたらどう感じるか」を意識しています。他者の気持ちになって考えるのは当たり前のことです。

いつも拝見しているブログを書いている方が心ないコメントで凹んでいました。そこに至るまでの経緯を理解していればそのようなことなど書き込めないはずなのに。

ただ、そういう輩はそのエントリー“だけ”しか見ないのですぐにいなくなります。そもそも、そういうことを書き込んだことすらすぐに忘れます。

気にせず、元気を出してください。

ちなみに、ある1点“だけ”を書いて世論を煽るのは記者の得意技です。スペースの問題でそのように書かざるをえない場合もありますが、意図的に書く記者もいます。

新聞が持つ影響力の大きさ、またそれを作る記者の力の強さの強さにいい加減、怖じ気づいてしまったことも新聞記者を辞めた理由の1つだったりします。