電車の中の恋人

通勤電車で一緒になる女性に恋して散ったブサメンの日常

お通夜

新聞社でお世話になった先輩が20日(火)に亡くなったと連絡があり、きのう22日(木)にお通夜に行ってきました。享年45歳、くも膜下出血だったそうです。

先輩に初めて会ったのは入社4年目、新たに異動した支局でした。そこは主要支局の1つで、そこで実績を上げて本社に引き抜かれるのが出世コースです。

小さな支局で3年間、地味な仕事に耐えながら新聞記者としての基礎を固め、本社に異動できる可能性がある支局に配属された私は文字どおり鼻息が荒くなっていました。

ほかのメンバーも本社の社会部や政治部、経済部といった花形部署に異動しようと24時間365日走り回っていました。誰もが士気が高く、活気に満ちた支局でした。

そのような中で先輩は異質な存在でした。出世欲がなく、スクープを取ってくるでもなく、日々の業務を淡々とこなしていました。

先輩が入社した年は当たり年と言われ、いち早く本社の社会部や政治部でエース記者となり、スクープを連発している記者が3人いました。

その人たちがいたせいもあり、先輩は地味な存在でしたし、初めて会ったときに私は“できない記者”と思ってしまいました。しかし、それは大きな間違いでした。

先輩の担当をいくつか引き継ぐことになったのでしばらく同行したのですが、どこの取材先でも先輩は絶大な信頼を寄せられていました。

「あなたにだけ教えてあげるけど」「あなたになら話しても大丈夫だから」と、1面トップを張れるような情報が行く先々で集まってきます。

「なぜ書かないのですか?」と質問したところ、返ってきた答えは「ウラが取れてないから」という至極真っ当なことでした。

普通の記者であったらもう十分と判断して記事にしてしまうであろうところまでウラが取れても、自分が完全に納得できるまでは絶対に書きませんでした。

そしてあろうことか、ある程度までウラが取れると、本社の同期に情報を教えていました。それを彼らが書いて1面トップのスクープとなっていました。

「彼らが書いたほうが社会に影響力を与えられるから」

なぜ自分で書かないのか、もちろん聞きましたが、私にはまったく理解できない答えでした。自身の記事によって世に問いかけたいと思わない新聞記者がいると思いませんでした。

これだけネタを集められる記者であれば本社への異動の話があるはずで、実際に話が何度もあったそうですが、家族との時間がなくなるから、と断っていたそうです。

その支局で先輩と一緒に仕事をしたのは2年間でした。私が本社の経済部に引き抜かれたからですが、そのころには「先輩とせめてもう1年間、一緒に仕事をしたい」と思うようになっていました。

「我々は新聞がいかに強大な力を持っているか忘れてしまいがちだ。新聞は絶対に間違いを載せてはいけないし、そのためには時間をかけて取材するしかない」

何度も聞かされました。そして、有言実行の人だったので取材先から信頼され、実は支局長をはじめとして全記者からの信頼と尊敬を得ていることを徐々に知りました。

「あいつ、すごかったろ」。本社に異動して先輩の同期のエース記者と初めて会ったときに言われました。「いま俺がここにいるのはあいつのおかげなんだよな」とも。

私が本社の経済部に異動できたことも先輩のおかげでした。先輩が色々と教えてくれて、たまにはネタをくれて、スクープを連発できたからです。

「君は本社でも活躍できると思っているし、本社のほうがもっと成長できるはずだ」。精鋭部隊に飛び込むことに不安を感じていた私の背中を押してくれたのも先輩でした。

異動後も大きなミスをして凹んでいるときや迷っているとき、悩んでいるときに何度も相談に乗ってもらいました。また、私が退職するとき、退職してからも気にかけてくれていました。

先輩、あんたなに死んでるんですか。しかも、奥さんと小学生の子ども残して。もう1度、偉そうに信念語ってくださいよ。

お通夜には私の前の会社の記者はもちろん、他紙の記者や取材先など、たくさんの人々が訪れていました。私が退職してからどうしても会う機会が減ってしまっていたのですが、先輩の仕事ぶりは変わっていなかったようです。

先輩、お疲れっす。