きれい事
「ちょっと、あの子ったら“慶應はいかない”って言ってるのよ!話を聞いてあげて!」― 日曜日の朝イチにマンションのオーナーさんが突撃してきました。
昨夜は結局、午前3時ごろまで飲み、寝ついたのが多分、午前4時ごろのはずで、ようやく深い眠りに入ろうとしていたころに起こされたわけです。
オーナーさんの受験生のお孫さんが、第二志望の慶応に合格しているものの、第一志望の早稲田が不合格だったら浪人すると言っているそうです。
「“授業を受けてみたい教授がいるから”って言ってるんだけど“ずずずさんに聞いた早稲田の雰囲気がとても楽しそう”っても言ってるのよ!」
責任感じる…。
私は現役で大学には入れず、1年間、浪人生活を送りました。現役の高校生のころは部活のテニスのことしか頭になく、勉強はまったくしていませんでした。
小学校と中学校は義務教育、高校は入学試験があるものの現代では義務教育のようになり、ほぼすべての人が通えるようになっています。しかし、大学はそれなりの人が不合格になります。
“大学全入時代”と言われているように、選ばなければ入れると思いますが、それなりに知名度がある大学であれば不合格になることも珍しくありません。
大学入試は生まれて初めての挫折を経験する場と言っても過言ではないのです。たかが大学、されど大学。18歳の若者にとって大学入試がすべてであることは否定できません。
いまの私は1年間の浪人生活をとても貴重な時間だったと思っています。勉強だけに集中できる、合間にいくらでも書籍を読めるという生活は浪人生活の時しかありません。
経済的に迷惑をかけてしまった両親には申し訳ないと思いますが、それについては就職してから少しずつ返しているつもりですし、両親が亡くなるまで返していくつもりです。
ただ、もし現役で合格できる学力があったのであれば、私も浪人生活など送りたくなかったと思っています。現役で大学に入れるにこしたことはありません。
18歳という人生の中で最も多感で貴重な時間をどこにも所属せずに1人で消費することはとても残念なことだと思います。あえて挫折を選択する必要はありません。
私に相談したいとのことで、これからお孫さんが来るそうですが、私は「早稲田が不合格だったとしても(慶應に)いっとけ」と言います。
ちなみに「いまの世の中は大学名なんて…云々」という意見を耳にしますが、それはきれい事です。社会に出れば大学名のありがたみを痛感します。何歳になっても、です。
「男は顔じゃなくて中身だよね」というものと同じぐらい、きれい事は大嫌いです。