電車の中の恋人

酒とタバコと電気ベースと料理とキャリア…まあいろいろ

方言

関西弁に限らず、その地域独自の言語、いわゆる方言はとても素晴らしいものだと思っています。神奈川県で生まれ育ち、いわゆる標準語しか知らない私にとっては本当に羨ましいものです。

方言をからかわれたりバカにされたり、珍奇な目で見られたり、恋人に振られたり、方言によって辛い思いを経験したことがある方は少なくないでしょう。

「お前は辛い思いを経験したことがないからそんなことが言えるんだ。実際はそんな生やさしいものじゃない」と感じる方も多いでしょうし、それについて私は何も言えません。

ただ、標準語しか知らない人間にとって、方言はとても活き活きとした印象を受けるのです。それと同時に、標準語がいかに表面的で無機質なものであるかを痛感します。

言語は生き物であり、日々変わっていきます。その過程で残念ながら消えていくものもあります。方言は「言語は生き物である」ということを実感させてくれるのです。

それに対して、標準語は変わりません。変わってしまったら標準でなくなるわけで、当たり前といえば当たり前なのですが、「つまんねぇ…」としみじみ思います。

今日、私がインタビューした方はふだん、大阪を本拠地として活動しているものの、東京の人間をクライアントとし、ふだんから多く接しているため、最初は標準語で受け答えしていました。

しかし、インタビューが盛り上がってくると、ついポロッと関西弁が出てきます。「…している方が多くいらっしゃいますが」と話していたものが「…してはる方が多くいてはりますが」となるわけです。

勝った(涙)

先々週の大阪でのインタビューの際も、最初は標準語でガチガチでした。それが途中から関西弁を交えたものに変わりました。関西の方にインタビューする際、関西弁を引き出すと「勝った」と感じます。

生まれも育ちも関西の方が標準語で話しているということは「標準語で話そう」と意識しているわけで、本当に話したいことに全意識が集中していないということです。

そこで関西弁を引き出すことができると「標準語なんかでしゃべってられるか!」となっているわけで、相手が本当に話したいことを引き出せたと思います。そうなると身振り手振りも混ざってきますし。

今日のインタビューは結構、苦戦しましたが、予定時間の半分を過ぎたあたりから関西弁が混じるようになり、完勝とはいかないまでも、私の勝ちと言ってよい出来でした。

明日は午前10時から都内でインタビューですが、大阪を本拠地としている方です。当初は今夜、大阪に泊まって明日の午前中に大阪でインタビューのはずだったのですが、相手が急きょ東京に出張することになったため、都内でのインタビューになりました。

今日は相手のホームである大阪でのインタビューというアドバンテージがありました。しかし、明日は都内です。上手く関西弁を引き出せるかが勝負です。