見送り
これまで何人を見送ってきたのか、そしてこれからあと何人を見送らないといけないのか ― 前の会社を含めてこれまで何人もの退職者を見送ってきましたが、いつになっても慣れません。
特に今回のように本人が望んでいない退職、リストラの現場を間近で見たのは初めての経験なので、やるせない気持ちでいっぱいです。端から見るのと当事者になるのでは当然、違います。
新聞記者時代、ある企業のリストラを追ったことがありました。いわゆる「追い出し部屋」に送られたリストラ対象者に時間をかけて取材したり、工場閉鎖に伴う大量のリストラを明らかにする記事を書いたりしました。
しかし、それはあくまでも他人事でしかありませんでした。私は安全な場所から「おーい、そっちの状況はどうだー?大丈夫かー?」と声を張り上げているだけにすぎませんでした。いま思い返すと、恥ずかしい気持ちでいっぱいです。
ただ、唯一の救いは、去っていく仲間がそれほど悲観的ではないことです。外資系に入社した時点で、いつかこういうことがあるかもしれないと常に頭の片隅にあったからです。
「まあ外資だから仕方ないよね」― そう言って次をさっさと見つけていく姿に、残る側としては肩の荷が少しだけ軽くなります。残る側は去っていく側を蹴落として自分たちだけ残るわけではありませんが、どうしても罪悪感を覚えてしまうのです。
退職者の最終出社日には、誰かが自然と声をかけ、花とささやかなプレゼントを用意し、退社時にみんなで集まって見送ります。今日は雑誌チームの女性がみんなに声をかけ、後輩に花を渡して見送りました。
働き方や雇用に対する考え方が違うのは仕方ありません。外資系に入社した時点で分かっていたことです。しかし、こうしてみんなで見送る日系的な情だけは絶対に失いたくないと思います。