電車の中の恋人

通勤電車で一緒になる女性に恋して散ったブサメンの日常

嫉妬心

自分と他人を比べることほど愚かなことはないと思います。また、その結果として生まれる嫉妬心ほど醜い感情はないと思っています。自分は自分、人は人 ― 誰もが1度は言われたことがあるはずです。

しかし、頭で分かっていても自分と他人を比べてしまい、嫉妬心を生み出してしまうのが人間です。私も頭では理解しているのですが、気付くとつい他人に嫉妬してしまいます。

昨夜、学生時代のゼミの同期からフランスの大学に客員研究員として招かれたという連絡がありました。それと同時に、ほかの同期から彼の壮行会についての相談がきました。

以前にも少し書きましたが、私は研究者になりたいと思っていました。ゼミでの成績は1、2を争うぐらいでしたし、指導教授からも大学院に進むものと思われていて、学部生のころから大学院の講義にも参加していました。

ただ、両親に研究者になりたいと思っていることを話したことはありませんでした。私の家庭は良くも悪くも普通でした。大学を卒業したら会社員になるのは当たり前と思っていて、研究者など想像もしていませんでした。

大学3年の秋、就職活動を始めました。「あくまでも両親の顔を立てるためであって、就職するつもりはない」という気持ちだったのですが、いまになって思えば、心のどこかで研究者に対する一抹の不安があったのかもしれません。

通常、修士課程までであればほぼ無試験のような状況で進める大学がほとんどです。形式的なものが学部の卒業直前にあるだけで、希望さえすればそのまま大学院に進学できます。

しかし、私の大学の私の学部は他校からの大学院進学希望者が多く、毎年9月に入試を行います。倍率もそれなりで、不合格になる学生もたくさんいます。学部の入試ほど難しくありませんが、それでも決して簡単ではありません。

私はそのとき既に新聞社の内定を得ていましたが、大学院の入試に合格すれば当然、内定を辞退するつもりでした。ただ、結果的には就職活動をしていて良かったことになります。

私は大学院の入試に落ちました。試験問題が全然解けませんでした。それまでの私の成績であれば決して難しくないものでしたし、周囲も合格して当たり前と思っていました。指導教授にも「なぜできなかったのか」と散々、怒られました。

分からない、とにかく分からないというのが本心です。後日、あらためて試験問題に向かってみると、なぜ入試のときに書けなかったのか分からないぐらい、すらすらと手が動きます。あの日になぜできなかったのか。

今回、フランスの大学に客員研究員として招かれた彼は、ゼミの中ではごく普通、むしろ成績が悪いほうでした。しかし、彼は大学院入試に合格しました。そして、そのまま博士課程まで進み、いまでは気鋭の若手仏文学者として注目されています。

彼は穏やかな性格で、たまに会うといまでも「何でお前が落ちて俺が受かったのか分からない」と言います。しかし、物事に偶然はありません。すべては必然です。お互いの状況がいまのようになっているのは、こうなるべくしてなっているのです。

しかし、それでも彼が羨ましい。本来であれば、客員として招かれるのは私だったはずではないか、何であいつが…と思ってしまいます。そして、そう思ってしまう自分に幻滅しています。

私は、大学卒業後からいままでの仕事に対して「よくやってきた」という自負があります。誰にも非難されるようなものではありませんし、「いま何やってんの?」「こういうことやってる」と自信を持って言えます。

ただ、それでも彼の壮行会に出席することに胸がざわつきます。ふみちゃんのことで凹んでいる、会社もバタバタで落ち着かない、ということもありますが、それがなかったとしても彼に対する嫉妬心を抑えられません。

嫉妬心という醜い感情に侵されている自分が醜いと思いつつ、それでも嫉妬心を抑えきれない自分に頭を抱えている土曜日の夜です。