電車の中の恋人

通勤電車で一緒になる女性に恋して散ったブサメンの日常

書く能力

私は子どものころから膨大な書籍を読み、10代できちんとした文章教育を受け、日刊紙記者として10年弱ひたすら記事を書きたおす日々を過ごし、とある小説の新人賞で最終選考に残り、デビューの話を受けたことがあります。

要は、自分で文章が上手いと思っているのです。日本人がこういうことを言うと「自意識過剰」「勘違い野郎」などと叩かれますが、ここにいたるまでに相当の努力を積み重ねてきた自負があるので、まったく気にしません。

ダイエットをしたり、筋トレをしたり、栄養バランスを考えた食事をとったり、お肌のことを考えたり、服や靴、鞄、時計などに気を遣ったり、見た目についても努力していますが、こちらにはまったく自信がありません…。

出版社で編集者をやっている私が言うのもなんですが、編集者にとって自分で書ける能力ほど邪魔なものはありません。著者といっても文章のプロではないので、文章が上手いわけではありません。はっきり言って下手。自分で書き直したくて仕方ありません。

しかし、編集者はあくまでも著者をサポートすることが仕事です。アドバイスして、著者に上手な文章、読みやすい文章を書いてもらうことが編集者の役割であって、自分で書くことは御法度なのです。

それに、全世界の人々が私の文章を上手いと思うわけではありません。下手だと思う人も必ずいます。それと同じように、著者の文章を上手いと思う人もいるでしょうし、少なくとも著者自身はそれが読みやすいと思っているのです。

漢字にするか開くか、読点をどこに打つか、形容詞や副詞をどこに置くか、接続詞をどう使うか、どこで改行するか、見出しの階層をどこまで設定するか…「読みにくい」と感じることはあっても、それが「間違い」であることは滅多にありません。

私が文章に対してこだわりを持っているように、著者もこだわりを持っているのです。誤脱字のような明らかな間違い以外、編集者が著者の文章を勝手に直すことは避けなければなりません。信頼関係を築けている著者であれば別ですが。

何が言いたいかというと…昼過ぎから根を詰めて原稿を読み込んでいたせいで疲れたの~!

テーマは良いですし、この著者ならではの視点が書いてあり、とても面白い内容の原稿なのですが、いかんせんとにかく読点が多くて読みにくいのです。ただでさえ、私は読点をあまり打たない、一文を長くする傾向にあるので、片っ端から取りたい衝動に駆られます。

関係各所のしがらみによって、かなり急いで刊行しなければならず、一気に制作しなければなりません。集中していたら昼ごはんを食べるのを忘れてしまい、デスクの引き出しに詰まっているお菓子をぽりぽり、と。

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ふみちゃんとポッキーゲームしたい!っていうか「大人のミルク」って意味深(キャッ)!

…働け、オレ。