電車の中の恋人

酒とタバコと電気ベースと料理とキャリア…まあいろいろ

テープ起こし

ヘッドホンを外すと、外は静かになっていました。会場最寄りのJR桜木町駅関内駅横浜駅は大変なことになっているでしょう(関東の方しか分からず、すみません)。ちなみに、神奈川新聞の社員は自社の主催にもかかわらず毎年、誰も鑑賞しません。翌日の朝刊に向けてちょうど追い込んでいる時間ですから。

新聞記者時代、インタビューのテープ起こしは自分でやるのが当たり前でした。テープ起こしをしながら頭の中で原稿の枠組みを作り、終わったところで一気に書き上げられるからです。

以前も書きましたが、私はインタビュー中にあまりメモをとりません。メモをとるには下を向かなければならず、相手の目から視線を逸らすことになります。

仕事としてのインタビューだけでなく、友人とのごく普通の雑談でも、やはり目を見ていると「あなたの話を聞いています」という気持ちが伝わります。自分が話しているときを想像すればよく分かると思います。

また、自分で聞き直すことによって、実際に相手が発した言葉だけではなく、雰囲気を思い出します。「そういえば、この発言の前に一瞬、言い淀んだっけ。言外にあのことを示していたのかな」という部分を盛り込んであげると、ほとんど一発オッケーです。

編集者になって、周囲がテープ起こしを外注していることに驚きました。しかも、起こされたテキストをさらに外部のライターに渡して原稿に仕上げてもらっているのです。当人はそれを編集して完全原稿にするわけです。

以前「記者と編集者の違いは自分で書くか書かないか」と紹介しましたが、まさにこれです。編集者は「自分で書く」という概念がありません。これまで編集者しかやったことがない同僚に「何で自分で書かないの?」と質問して「いや、逆に何で自分で書いてんの?」と返され、根本的に違うことを実感しました。

テープ起こし業者から上がってきたものを見せてもらったことがあります。「え~~~~~」「あ~~~~~」というところまでテキストにしてあって、「(※場にいた全員が笑って和やかな雰囲気)」ということまで注記してあるのです。

テープ起こし業者は“音声を目に見えるテキストの形にする”という依頼を忠実に守っているだけですが、それを読んで原稿に仕上げていくのは余計に時間がかかるのではないかと感じます。

いまも同僚から「テープ起こし、外注すれば?それぐらいの予算はあるでしょう?」と言われるのですが、予算云々ではなく、私にとってはこのほうがやりやすいのです。時間も短縮できますし。

「自分で書く」という意識を持っている人は、実はそれほど多くないのかもしれないとテープ起こしのたびに実感するのです。