電車の中の恋人

酒とタバコと電気ベースと料理とキャリア…まあいろいろ

完全撤退の意味

外国企業は株主が絶対です。そして株主は自分の目先の利益が第一です。自分が株を持っている企業の業績が悪く、配当が行われないという事態になれば経営陣を厳しく追及し、退陣を迫ります。経営陣はそれが怖いため、常に目先の利益を考えます。

日系企業も一昔前に比べればずいぶんと株主を意識するようになりました。“もの言う株主”なんていう言葉も流行りました。しかし、それでもまだまだ“企業は経営陣と社員のもの”という意識が強いと思います。株が紙くず同然になったとしても、企業を相手取った株主訴訟など滅多に聞きません。

良い面はあります。いますぐに利益を生み出すものでなくとも、長期的なビジョンで取り組むことができます。日系企業の株主は利益を生み出すまで根気強く待ちますし、仮に失敗したとしても経営陣を強く責めることはありません。“株で儲けよう”というより“企業を育てよう”という意識が強いのではないかと思います。

これが外資系であれば「数年先に利益を生み出す保証がどこにあるんだ」と詰め寄られ、とにかく目先の利益を生み出すよう迫られます。経営陣は株主の顔色をうかがうだけですので、企業をどのようにしていこうかという長期的なビジョンがありません。どうせ数年で去る場所だから、と考えていますし。

日本市場からの書籍出版事業の完全撤退が決まったのはこれです。目先の利益を生み出していなかったからです。しかし、前にも書いたように、赤字だったわけではありません。確かに利益率は良くなかったかもしれませんが、すべてやめてしまう必要はありませんでした。

また、書籍出版事業には、それが生み出す利益以外の目に見えないメリットが多くあります。これも前に書きましたが、ブランディングです。「こんなに立派な書籍を発行しているのだから」という信頼感は絶大ですし、この信頼感によってオンライン製品が売れるのです。

こういう効果は目に見えませんし、エクセルで表示することもできません。外資系の経営陣にとってパワーポイントで小ぎれいにまとめられた経営戦略は必要ありません。重要なのはエクセルにまとめられた数字だけなのです。

7月末時点で刊行されない書籍について、著者への刊行中止のお願いを先週から進めています。2016年に刊行予定だったタイトルは脱稿している、もしくは大部分が書き上がっている状態です。これらはひとまず刊行すると思っていたのですが、完全撤退というのは来年からではなく、今後一切、書籍を出版しないということだったようです。

もちろん、交渉は難航しています。著者にとっては「そっちが書いてくれって頼んできたから忙しい時間を割いて書いているのにバカにしているのか」と言いたくなるでしょう。当たり前のことです。私が著者だったら怒ります。

刊行中止を了承してもらえない著者には、編集部員の人脈を駆使して、代わりに刊行してくれる出版社を探して「こちらから出しませんか」と提案しています。しかし、こちらの手が入っていない原稿であればともかく、少しでも編集してある原稿を引き取ってくれる出版社はなかなかありません。編集者は、他の編集者の手が入った原稿を嫌がる傾向にあるからです。

編集者であればやはり、企画段階から自分で手がけたいと考えます。他の編集者が企画を立て、脱稿したものを引き継いで制作するのは、他人のふんどしで相撲をとっているようなものです。もし、それが売れてしまえば、さらに複雑な気持ちになります。

刊行中止を了承してもらえず、別の出版社が見つからず、そもそも著者も別の出版社から出したくないと言われたものについては、初版部数を大幅に減らしてうちから刊行します。ただし、その場合も倉庫に在庫を置きたくないので著者に買い取ってもらうよう、お願いしています。

著者に対して申し訳ないのと情けないのと、恥ずかしいのと、複雑な気持ちが入り交じっています…。

しかも、完全撤退ですから、作りかけのものを刊行しないだけではなく、過去何年にもわたって刊行してきたタイトルについても増刷などしません。それなりに売れて版を重ねているタイトルは別の出版社に版権を売り渡し、そうでないタイトルは絶版です。

時間をかけて築き上げた信頼がガタ落ちです。こういう話はすぐに広まり、これからじわじわと影響が出てくるでしょう。経営陣はこういうことをまったく考えておらず、「ごねている著者がいるなら代わりに謝りにいく」と言っていますが、そういう問題ではありません。そもそも、お前なんぞが上っ面だけ神妙にして謝ったところで火に油を注ぐだけだ。

外資系も日系も泥をかぶるのは結局、現場のスタッフです。短くはないサラリーマン人生で、嫌なこともたくさんありましたし、修羅場もそれなりに経験しました。しかし、いまが最も辛い時期です。