電車の中の恋人

通勤電車で一緒になる女性に恋して散ったブサメンの日常

Facebookの“友達”

「これからドライブ行こうぜ」―昨日の午後10時過ぎ、親友から電話がかかってきました。彼とは高校時代からの長い付き合いで、お互いに「こいつは一生付き合える親友だ」と思っています。

私は横浜市で生まれ、小学校に入る前~大学生を厚木市というところで過ごしました。東名高速道路厚木インターチェンジの“厚木”、米軍厚木基地の“厚木”です。ちなみに米軍厚木基地は厚木市にありません(豆知識)。

お互い、学生時代に車の運転免許を取ってから、よく深夜のドライブに出かけていました(もちろん親の車)。車を20~30分走らせるとすぐに湘南です。意味もなく海まで行って、ファミレスでドリンクバーを単品で頼み、色んなことを話しました。

大学卒業後、私の職場は横浜、彼は某大手企業に入社して名古屋支社に行くことになりました。就職してから1年間ぐらいは、彼がこちらに帰ってくるたびに深夜のドライブに出かけていました。

しかし、お互いに仕事が忙しくなり、彼が結婚して子どもができたりして、年に数回は顔を合わせていたのですが、深夜のドライブに出かけることはなくなりました。それが昨夜、十数年ぶりに復活しました。彼は全国各地を転々としましたが、1年前に横浜の奥さんの実家の近くに家を購入し、車で20分ぐらいの場所に住んでいます。

私の会社の書籍出版からの完全撤退と、これに伴う私のリストラの話はもちろん、相談しています。これがあったので、疲れているであろうに、わざわざ深夜に誘ってくれたわけです。

私の仕事の話は少しだけで、あとはどうでもよいことばかり話しました。高校時代の同級生がどうの、両親がどうの、彼が「今年の新入社員は…」と話し始めたとき、お互いの年齢を感じて自然に笑い合っていました。

以前「学生時代からの友人は、社会人になってから知り合った友人とは違う」と書きました。学生時代からの友人は、何の利害関係もなく、無心で笑うことができます。社会人になってからの友人は、無意識的に利害関係が頭をよぎります。その意味では、そもそも“友人”と呼べないのかもしれません。

新聞社にいたとき、新卒の採用面接を担当したことがあるのですが、「Facebookの友達が300人以上います」「私は400人以上います」と、Facebookの友達の数を競う学生が多くいました。

そういう学生に会うたび「いま、この場で連絡して返信してくれる人は何人ですか。そもそも連絡することに気兼ねしてしまう人はいませんか」と聞いていました。決して意地悪で聞いているわけではありません。純粋に気になったのです。しかし、そういう学生は大抵、黙ってしまいました。

私がいまFacebookで繋がっている“友達”は132人ですが、いますぐにでも連絡できます。そして誰もが「おー、元気?」と返信してくれると確信できます。友達の友達の友達…的な感じでつながり、1度も会ったことも話したこともない人を“友人”と呼ぶことに違和感はないのか、そのような人を“友人”と誇れるのか、私は疑問に感じました。

“友人”と“友達”。一般的な同じものとして使われている言葉ですが、そこには大きな差があります。数人でも、私には“友人”がいればよい、“友達”はいらない―そう思います。

帰り際、「腹減った。ラーメン食っていこうぜ」と親友が言いました。そういえばコイツ、ラーメン大好きだった…。深夜のラーメンがいかに美味いかはよく分かります。ただ、お互いの年齢と新陳代謝の衰えを考えろ、いま食ったら脂肪分と糖分が腹肉に直結するぞ。

抵抗空しく、いや私も本気で抵抗したわけではありませんが、気付いたら目の前にラーメンが。このとき、午前2時前です。

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そして、無意識的に替え玉を。

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3連休の最終日、運動します(´・ω・`)