電車の中の恋人

酒とタバコと電気ベースと料理とキャリア…まあいろいろ

記者と編集者

記者と編集者は似ているようでまったく別物です。仕事紹介などではひとくくりにされ、就職・転職サイトなどでも「記者・編集」というカテゴリーが目につきますが、仕事内容や必要な能力は全然違います。いまの出版社に入社する際、面接で「なぜ大きく方向転換しようと思ったか」と聞かれましたが、まさに大きな方向転換なのです。

記者と編集者の最大の違いは、自分で書くか書かないかということです。当たり前のことのようですが、意外と知られていないのではないかと思います。編集者もある程度は書くことがあるだろうと思われているでしょうし、私もそう思っていましたが、びっくりするぐらい自分では書きません。編集者の仕事は書いてもらうことであって、書いてくれる著者を探すことです。

記者経験者にとって、この壁を乗り越えるのが本当に厳しいのです。大抵の記者は自分なりの文章の型のようなものを持っているため、それと合わない文章を読むのが辛く、自分で書き直したくなってしまうのです。

しかし、原稿はあくまでも著者のもので、それが著者にとっての型なのですから、読点1つでも勝手に直すのは御法度です。実際はそこまで厳密ではありませんが、原稿とは本来、それぐらいのものなのです。明らかな誤脱字はこちらで直しますが、それ以外はできるだけ原稿を活かします。例えば、次のような文章があったとします。

アスベストに関する事件が発生する以前には、米国において懲罰的損害賠償は稀であったが、アスベストに関する事件の陪審は、非常に多くの場合に懲罰的損害賠償を課するようになった。 

できるだけ原稿を活かしつつ私が直すとすれば次のような感じ。

米国では、アスベスト問題の発生以前、懲罰的損害賠償は稀であった。しかし、問題発生以降、アスベストに関する事件に対して、懲罰的損害賠償が非常に多くなった。

 もっと根本的に書き直すとすれば次のような感じ。

米国で懲罰的損害賠償は稀であった。しかし、アスベストによる健康被害などが明るみに出ると、アスベストが絡む事件を扱う陪審員たちは、懲罰的損害賠償を課すことが非常に多くなった。

実はこれ、私が実際に担当したタイトルの一文なのですが、結果的には最初のママでいきました。3番目のものはさすがに直しすぎですので、2番目の例を著者に見せて「このように修正してはいかがでしょうか」と提案したのですが、却下されました。その著者にとってはママのほうが分かりやすいということです。

私に自分なりの文章の型があるのと同じように、著者にも自分なりの文章の型があるのです。そして、それが合致するとは限りませんし、著者が「これでよい」と言えばそうすべきです。原稿はあくまでも著者のものです。

私が直したものを読んで「とても読みやすくなりました。どうもありがとうございます」と喜んでくれる著者や、「信頼しているのでどんどん直してもらって構いません」と言ってくれる著者もいます。しかし、読点1つを変えただけで文句を言う著者も少なからずいます。この辺は、いかに著者と信頼関係を築けるかにかかっています。

私は編集者としてまだまだです。毎日悩んで失敗して、たまに上手くいって調子に乗って、また失敗して…の繰り返しです。先は長い。

記者と編集者の違いはまだありますが、続きはまた今度。