電車の中の恋人

酒とタバコと電気ベースと料理とキャリア…まあいろいろ

文章が上手になる方法

文章が上手になる方法は、書いたものを他人に読んでもらい、ボコボコに直されることだと思います。もちろん、まず書いてみるということは大切ですが、それだけでは自己満足で終わってしまいます。自分で書いた文章を他人に見せることは恥ずかしいですし、問題点を指摘されるとまるで人間失格の烙印を押されたような気持ちになってしまいますが、私はこれしかないと考えています。

もちろん、直してくれる相手の文章力にもよります。私の場合、新聞記者1年目で配属された支局の上司が運良く、正しい文章教育を受け、高い文章力を身に付けた方でした。昨日書いた「この人、なんて良い文章を書くんだろう」と思ったほんの一握りの新聞記者のうちの1人で、なぜか新聞社に残っていまは論説委員をしています。

辞めるときに話してくれたのですが、私が初めて書いたものを数記事見たとき「ボコボコにすればこいつは使えるようになる」と感じたそうです。昨日書いたように、新聞記事は文章ではありません。良い文章が書けるようになるよう、私には通常記事に加え、インタビュー記事や人物紹介記事のノルマが課されました。

日刊紙ですから当然、毎日書きます。そして毎日、ボコボコに直されます。文字通り“ボコボコ”です。もはや原形をとどめないぐらいに赤字が入ります。しかも「直すべきところが多すぎて赤字を入れられないから、この辺に注意して書き直せ」と、赤字を入れてもらうまでに2回、3回と書き直していました。そうしてやっと赤字を入れてもらえるのです。

子どものころから本が好きで、読むだけでなく自分でも書いていました。また、志望していた学部の入試には小論文があったため、10代である程度の文章教育を受けました。大学入学後も積極的に論文を書き、学部の友人と文芸誌を作って腕を磨きました。つまり、自分は文章が上手いと思っていたのです。

しかし、新聞社に入社後、上司にボコボコにされました。毎日、毎日…それが3年間、続きました。悔しいのが、赤字がすべて的確で、指示通りに直してみると読みやすく、分かりやすく、伝わる文章になっていることです。「ぐうの音も出ない」というのはこういうことかと、初めて理解しました。

いまになって思えばとても貴重な経験でしたし、その方は恩人とも呼べる存在です。その方とは後に経済部で一緒になりましたが、そこではボコボコとまではいかず、ピコピコハンマーで殴られる程度でしたし、私が主体となった特集記事でとある賞をいただけたのも、ボコボコにされた3年間があったからこそだと思っています。いまでもよく会って飲んでいます。

ブログやSNSなど、最近は誰でも気軽に文章を発信し、多くの人に見てもらえるようになりました。しかし、ボコボコにされる機会は滅多にありません…って、そりゃ見ず知らずの人の文章にいきなりケチをつけるなんてイチャモンですし。

まず、正しくボコボコにしてくれる人を見つけることが大切です。別に文章教育を受けた人などでなくてよく、親しい友人に読んでもらって感想を聞くだけでもよいと思います。それだけでもかなり変わってくるはずです。

ちょこっと質問を受けたので、私の体験談を書いてみましたが、もちろん私もまだまだ勉強中です。良い文章が書けるようになるのはまだ先のことです。それにしても、意見をもらうことを前提に文章を他人に見せるのって何であんなに恥ずかしいんでしょ。