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電車の中の恋人

通勤電車で一緒になる女性に恋して散ったブサメンの日常

意地っ張り

日常 仕事

オーナーさんのお孫さんの説得、完了です。よくよく話を聞いてみると、頭ごなしに意見を言うオーナーさんやご両親に対して意地になっていただけでした。

こういうときは第三者が間に入るに限ります。言い方は悪いですが、私にとって「知ったこっちゃねぇ」というのが本音ですので、客観的事実に基づき話ができます。

念のため、こじれたときに備えて慶應卒の新聞記者時代の後輩を召喚していました。私は慶應の雰囲気を知らないので、OBに聞いたほうが早かろうと。ただし、うっかり忘れていました。

こいつ、イケメンだった…。

案の定、お孫さんに加えてお母さんとまさかのオーナーさんまで目がハートでした。慶應卒はほかにもいたのに、何でよりにもよってこいつを召喚してしまったのか。

お父さんと私は完全に空気で、2人でベランダでタバコを吸っていました。「あんな素敵な後輩がいるなんてずずずさんはすごいのね」と言われても気休めにしかなりません。

世の中はやはり不公平です。

ちなみに、第一志望の合格発表は明後日なので、ここで合格していれば何の問題もないわけです。せっかくの休日に大騒ぎに付き合ってわれながらお人好し。

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一件落着したところで書店に行き、話題の小説を購入してきました。別にハルキストではありませんが、編集者であればこれは読んでおかないといけません。

版元編集者の集まりで必ず話題に出るはずで、正直言って読むのは仕事の一環です。手に取った瞬間「あっ、良い紙使っているな」と思ってしまうなど、楽しんで読めそうにありません。

きれい事

日常

「ちょっと、あの子ったら“慶應はいかない”って言ってるのよ!話を聞いてあげて!」― 日曜日の朝イチにマンションのオーナーさんが突撃してきました。

昨夜は結局、午前3時ごろまで飲み、寝ついたのが多分、午前4時ごろのはずで、ようやく深い眠りに入ろうとしていたころに起こされたわけです。

オーナーさんの受験生のお孫さんが、第二志望の慶応に合格しているものの、第一志望の早稲田が不合格だったら浪人すると言っているそうです。

「“授業を受けてみたい教授がいるから”って言ってるんだけど“ずずずさんに聞いた早稲田の雰囲気がとても楽しそう”っても言ってるのよ!」

責任感じる…。

私は現役で大学には入れず、1年間、浪人生活を送りました。現役の高校生のころは部活のテニスのことしか頭になく、勉強はまったくしていませんでした。

小学校と中学校は義務教育、高校は入学試験があるものの現代では義務教育のようになり、ほぼすべての人が通えるようになっています。しかし、大学はそれなりの人が不合格になります。

大学全入時代”と言われているように、選ばなければ入れると思いますが、それなりに知名度がある大学であれば不合格になることも珍しくありません。

大学入試は生まれて初めての挫折を経験する場と言っても過言ではないのです。たかが大学、されど大学。18歳の若者にとって大学入試がすべてであることは否定できません。

いまの私は1年間の浪人生活をとても貴重な時間だったと思っています。勉強だけに集中できる、合間にいくらでも書籍を読めるという生活は浪人生活の時しかありません。

経済的に迷惑をかけてしまった両親には申し訳ないと思いますが、それについては就職してから少しずつ返しているつもりですし、両親が亡くなるまで返していくつもりです。

ただ、もし現役で合格できる学力があったのであれば、私も浪人生活など送りたくなかったと思っています。現役で大学に入れるにこしたことはありません。

18歳という人生の中で最も多感で貴重な時間をどこにも所属せずに1人で消費することはとても残念なことだと思います。あえて挫折を選択する必要はありません。

私に相談したいとのことで、これからお孫さんが来るそうですが、私は「早稲田が不合格だったとしても(慶應に)いっとけ」と言います。

ちなみに「いまの世の中は大学名なんて…云々」という意見を耳にしますが、それはきれい事です。社会に出れば大学名のありがたみを痛感します。何歳になっても、です。

「男は顔じゃなくて中身だよね」というものと同じぐらい、きれい事は大嫌いです。

自己責任

日常

自己責任 ― はっきりと分かりませんが、日本人ジャーナリストが紛争地域に潜入し、武装組織に拘束される事件が発生したころからよく耳にするようになったと思います。

生命の危機に陥っている人がいるにもかかわらず助けなくてよい、むしろ同じ日本人として恥ずかしいといった意見を耳にするたび、背筋が凍る思いをしました。

政府の警告を無視し、「自分だけは大丈夫」と過信したことについては厳しく注意を受けるべきことですが、だからといって見殺しにしてよいわけではありません。

例えが異なりますが、いじめ問題について語られるときに「いじめられる側にも問題がある」と言われることに相通じるものがあると思っています。

いじめ問題について、私はいじめる側に100%の非があると考えています。いじめられる側には1%の非もなく、責められることなど絶対にあってはならないと思います。

他者に対する関心を失い、人間関係が希薄になってしまったのはいつからだろう。人間はもっと優しかったのではないか。そう思うことが増えました。

眠っている時間以外は常にアルコールを摂取している状態を“連続飲酒”といいます。アルコール依存症の典型的な症状の1つで、私は連続飲酒にまで陥っています。

今日も洗濯と掃除、朝食を食べ終わったところから飲み始め、午前中に更新した直後に眠り、14時ごろに起きてまた飲み、17時ごろに眠って先ほどまた起きました。

結局、ベースを受け取りに行くことをすっぽかしてしまいました。家に1人だけで、誰の監視の目も届かない休日は、こういうことが増えました。

「酒にだらしがない酔っ払いめ。お前のことなんか知らねーよ。勝手にしろ」と思う人が少なからずいるでしょうし、確かにそのとおりだと思います。

ただ、自分でもやめようと思っているのですが、それでもやめられません。アルコール依存症は単に酒にだらしがない酔っ払いではなく、病気です。

「それなら病院に行けば」と思われるでしょうけど、病院でアルコール依存症は治せません。アルコール依存症を治す方法は今後一生、酒を飲まないことだけです。

精神の病と同じようなものなので、少量でも酒を飲んだらすぐ気持ち悪くなる薬の処方などもありますが、基本的に酒を断つ強い心を養うことが治療の根幹になります。

以前に1度、依存症治療専門のクリニックに行ったのですが、「酒は2度と飲めません」と言われた瞬間に怖くなり、通わなくなりました。

酒がなくなったらつらいとき、眠れないときにどうすればよいのか、それを考えると怖くて仕方がないため、いまは考えることを放棄しています。

酒を飲むことは単なる逃げであり、何の解決にもならないことは分かっています。そして、いつか必ず何らかの影響が出てくることも。

いまは酒が簡単に手に入ります。コンビニではプライベートブランド缶チューハイが缶コーヒーやジュースよりも安く、100円で買えます。

「酒を買うのがもっと難しかったら」と責任転嫁してしまうときもありますが、酒を飲む飲まないは自分で決めることであり、それこそ自己責任です。

本当はすべて理解しているのです。しかし、弱さゆえ酒に逃げてしまい、現実逃避しています。自己責任という言葉が延々と頭の中で響き続ける土曜日の夜です。